障害があるから? 車イスやから? 言語障害があるから?
それって「障害者差別」やん!

「太田シンガポール航空搭乗拒否事件」 判決!
2007年8月9日 神戸地方裁判所尼崎支部
07年8月9日(木)13時15分、神戸地方裁判所尼崎支部にて、

太田、シンガポール航空搭乗拒否事件に判決が下りました。「原告(太田・重度障害者)の請求をいずれも棄却する。」


私たち重度障害者の移動の権利、私たちの自由な、そして責任ある自立生活をこの社会は認めていないようです。

私たちは控訴し、太田君と戦い続けようと思います。重度障害者の人権のために。

大阪高裁行くぞ!(詳細は近日アップ予定)



2007/08/10 産経新聞より

この判決の詳細報告は只今制作中です。
 
「太田シンガポール航空搭乗拒否事件」 和解交渉の報告
2007年2月26日 神戸地方裁判所尼崎支部

 すべての書面でのやり取りが終わり、裁判官の判決よりも和解が出来るならと言うことで、

 弁護士さんと僕は「和解案」を1月29日に被告のシンガポール航空側へ提出していました。

 主な和解案の項目は、次の通りです。
 
1、 被告は、航空機利用に関して、障害を理由とした差別的取り扱いをしない。
 
2、 被告は、全身性障害のある人に関して特に以下の理由による単独搭乗の拒否をしない。
1)、 自力避難能力がないこと、
2)、 言語障害があること、
3)、 航空機への乗り降りに際しての座席へもしくは座席からの移動、航空機内でのトイレまでの移動について支援が必要であること(排泄そのものを自力で行えない場合は除く)
4)、 食事の際のパッケージ開封などの支援が必要であること(食事自体の介助を求められた場合は除く、但し、食事を不要とした申告がある場合は搭乗拒否できない)
5)、 事前通告がないこと(但し、通常の搭乗時間では必要な特別の装備や準備、医療上の対応が出来ない事が明らかな場合を除く)
 
3、 被告は、前項により単独搭乗を拒否できる場合を除いて、障害のある人が航空機利用するために、必要なサービスを提供する。
1)、 航空機の乗り降りのプロセスの一部としての座席への移動並びに座席からの移動に関する援助
2)、 パッケージの開封や食品の確認などの食事の準備に関する援助
3)、 航空機に備え付け車椅子が用意されている場合には、その備え付き車椅子を利用して障害者がトイレまで行き来できるようにするための援助
4)、 持ち込み品の出し入れに関する援助
 
4、 原告は、以下の個別サービスを提供することを被告に求めない。
1)、 食事自体の介助
2)、 トイレ内でのトイレ介助あるいは排泄機能に関する座席での介助
3)、 医療サービスの提供
 
5、 被告は、被告が障害の程度や身辺介護の必要性の程度に関する判断をなすに際し、障害のある人本人の説明を尊重する。
障害のある人がアクセシブルでないトイレ設備を利用する必要が生ずるかもしれない、あるいは被告スタッフが提供することを義務づけられていない個人的なニーズに対する広範囲にわたる特別な援助を提供することを求められるかもしれないという被告側の不安は、被告が介助者の同行を求めることができる理由とならない。
 
6、 被告は、その余のサービスについては、米国航空アクセス法の趣旨に則り、同法における障害のある人に対する受け入れ基準を遵守する。
 
7、 被告会社は、原告の単独搭乗を拒否したことに謝罪の意を表明する。

 16時前に東弁護士、辻川弁護士、太田(原告)とアテンダントの4人が、裁判所の2階にある小部屋へ通されました。

 僕(太田)はてっきり被告の弁護士と向かい合って、和解の話し合いをするものだと思っていましたので、

 定刻時間の16時を過ぎても被告側の弁護士は現れませんでした。それもそのはずで、

 僕は東さんへ相手の弁護士が遅いことを訪ねると、和解の場合は別々の部屋で裁判官と話す形式を知らされ、

 せっかく被告弁護士に対して、裁判関連の話とはいえ、普通に会話が出来る(受け答え)機会だと思っていたので、少しガックリしました。

 今回の根本は、言語障害があるために意思の疎通が出来ないことなので、

 今日の面と向かっての和解交渉が普通に日常会話を出来ると言う事実を改めて証明できるチャンスだと思っていたからでした。

 しかしガックリするのも束の間で、部屋のドアが開き裁判官一人と書記官の人が入って来られました。

 まずテーブルを挟んで向かい側に座った裁判官から話を切り出し、

 こちらが提出した和解案に変更がないかどうかの確認がありましたけど、東弁護士は、即答で「ありません」と言いました。

 すると、裁判官は困ったような顔をして

 「被告側から、和解案の全面的な見直しを希望されていらっしゃいますが、見直しはできますか?」

 と被告の話を持ってこられたのです。

 僕たちは顔を見合わせて、「和解案の全面的な見直し」を言ってきた被告がこちらの和解案に対して

 真の底から応じる意志がないことを改めて納得しました。しかしそれ以上の事がまた裁判官から聞こえて来たのです。

 「被告は、お金(和解金)で終わりにしてくれないかとも言われていますが、どうなされますか?」

 これはまさに運営規約を変える気がない被告の発言だと思いました。

 東弁護士は、和解案に書いてある定義文を少しであれば弱めに表現を変えることが出来るけれど、

 すべてを書き直すことは出来ませんとキッパリ言われ、付け加えてお金で解決する気など毛頭にない心情も裁判官へ語ってくださいました。

 裁判官は納得されて、僕の方にも東弁護士と相違がないかの確認をしてきましたが、同じく僕も「お金ではありません!」と言い切りました。

 そして再び、裁判官は隣の部屋へ移り、僕たちの要望を被告へつげに行きました。

 時間にして5分程度だったでしょうか。僕たち3人で被告がお金で解決させたがってることに対して話をし終わる前に、

 部屋のドアが開き、裁判官と書記官および被告の弁護士二人も入ってきたのでした。

 「もう一度、隣の部屋で原告のお考えを被告へお伝えしましたが、相応とものお考えには咬み合うところがなく開きすぎているので、

 誠に残念ですが和解は取り下げて、裁判所の方で議論し、判決を出すと言ったことにさせていただきます。よろしいでしょうか?」と裁判官は

 両者に確認を取られました。

 両者共に遺言はなく、裁判官の判決にゆだねることとなってしまい、案の定、和解の結末には至りませんでした。

 もうすぐ裁判所内でも年度変わりには、裁判官の人事移動があるらしく、もしかすると、これまで壇上に座っていた裁判長も替わる可能性があると言うことで、

 いったんは今日の話を聞いた若い裁判官の人がたたき台を創り、新しく変わってきた裁判官たちと議論をしてから、

 判決の日を両者へ告げる…といった流れ聞き、一度は法廷を開く段取りになりました。

 その法廷日は、なんと先の5月10日(木)午後1時15分〜。

 たたき台を創り、新しい裁判官と議論を重ねて正当な結論が出るようには願いたいものですが、

 それにしても次の法廷日までに時間がかかるのだなとつくづく感じてしまいました。

 告訴を出したのが、2004年12月16日で初公判が2005年2月24日…。
 
 それから11回の公判を数える今日が2007年2月26日ですから、約2年の歳月が経ったと言うことに!

 初めは1年くらいで終わるものだと思っていたら、ふたを開けてみると一つの公判が開かれる間に2ヶ月空き、

 その間には事件当日の記憶を帯び起こしながらの資料作りをおこない、または世間の人たちへ知ってもらうための募金活動と、

 裁判がらみのことが常に脳裏をかすめ続けていたため、2年という歳月よりも障害者の人権を勝ち取るには、

 これほど精神力と根気がいるものなんだと思い知らされ、

 本当に僕自身にとって貴重な体験を東弁護士と辻川弁護士および募金などを手伝って下さっている皆さんのおかげなんだと感謝しています。

 5月10日(木)に裁判長から告げられる判決日がいつなのか、今はただただ待ち望むだけです。また判決日が決まり次第、皆さんへご報告いたします。


「太田シンガポール航空搭乗拒否事件」の概要

 2003年7月30日、僕・大田は友人へ会いに行くため、関西国際空港からシンガポール航空を利用して、バンコクへの一人旅の企画を立てました。

 これまでバンコクへは、3度ほどはアテンダント(介助者)と一緒に行ったことがありましたが、海外への一人旅は初めてでした。確かに僕は日常生活においては一日に平均8時間の介助者を利用して生活しています。でも後の16時間は一人でいることが多く、トイレなども自分で処理ができていました。

 一人で行くにしても友人にバンコク国際空港の到着ゲートまで出迎えに来てもらえれば、一人になる時間は航空機に乗っている間の5時間(大阪からバンコクの飛行時間)だけでした。

 よって、これっといった不安もなく2003年7月30日の朝を迎えました。
 午前8時のチェックインに間に合うように、友人の佐藤さんが車で迎えに来てくれました。また友人の廉田さんと中林君も一緒で関空までの道中、冗談も交えながら、楽しくみんなで関空へ向かいました。

 関空へ着き、まず僕はアテンダントと予約していた航空券をもらいに4階の中央カウンターへ。受付へパスポートと航空券の引換券を提示しました。すると「お一人分の往復貢献をお渡しします。時間の確認をさせていただきます…」と説明を聞いた後、お見送りの三人と一緒にシンガポール航空のチェックインカウンターへ行きました。

 僕がアテンダントへ指示を出し、航空券とパスポートをカウンタへ持っていってもらっている間、僕の代わりに佐藤さんがカウンターの前に立っていた従業員へ単独での搭乗を伝え、搭乗ゲートから機内への移動(車いすを押していってもらうこと)→(出来るならば)機内の食事とトイレの介助→(バンコクへ着いたら)機内から到着ゲートまでの移動を依頼して下さいましたが、その従業員は佐藤さんが言った一連の依頼話を聞いてから、何のかげりもなく「はい、全く問題ありません。食事のお手伝いも喜んでさせて頂きますので、ご安心下さい」と言われ、予想以上の返事が即答でもらえました。

 チェックインを済ませた僕らは出国ゲートで係員と落ち合うまで1時間ほどあったので朝食を取りに空港内の喫茶店へ行きました。また関空へ向かっていた道中と同じくたわいのない会話をしたのを、、今でも覚えています。楽しい時間が経つの早いもので、あっと言う間に小一時間が経ち、ぼちぼちと出国ゲートへ向かおうかと喫茶店を出たときに館内放送が聞こえたのです。

 館内放送を聞いても何の疑いもなく、従業員の待ち合わせ場所が出国ゲートからチェックインカウンターへ変更になったのかなと思ったぐらいで、もうすでに僕の脳裏にはバンコクで待っている友人の笑顔しか浮かんでいませんでした。

 しかし、僕の脳裏から友人の笑顔が消えて真っ白になってしまった悪夢の悲劇は、数分後に起きてしまいました。

 チェックインカウンターに着くと預けたはず僕の荷物がまだ一つ寂しく置かれ、奥の方から体格のよい白髪交じりの方が現れ、手をお腹の辺りで組みながら静かに僕らへ近づいてきたのです。その方がまず「シンガポール航空のカスタマーサービス部長の伊藤です」と述べた後、冷静に「実は、今回、太田様は介助者がおらず、単独の搭乗を認められません」と切り出しました。

 僕も含めて、見送りの三人も何を言われているのかが想像に大きく反した言葉だったので、もう一度聞き返しましたが、伊藤氏は同じ言葉を繰り返し言われ、やっと悪夢の悲劇が訪れたことを知りました。

 知らされた矢先から、僕は一つ一つ脳裏で確認しながら「飛行機に乗れないと言うことは、バンコクまで行けないと言うこと。バンコクまで行けないと言うことは、友人に会えないと言うこと。友人に会えないと言うことは…。オーイ、何するねん!」と順番に辿って行くうち、ことの重大性が見えてきました。それでもまだ今後の行く末をどうしたらいいのかわからず、必死で廉田さんと佐藤さんが伊藤氏へ抗議して下さっている光景を見守るしかありませんでした。

 以下の文章は、佐藤さんが事件後に書かれたシンガポール航空空港カスタマーサービス部伊藤昇部長と抗議をしたやりとりの状況です。

搭乗拒否の理由:
1. 言語障害がある。意志の疎通がスムーズに出来ない。何かあったときに意志が伝わらない。
2. 上肢・下肢に障害がある。
3. 介助者がいない。
という理由で、単独での搭乗は拒否された。


佐 藤:
(友人)
太田君は意志の疎通が出来ないとおっしゃいますができますよ。言語障害はありますが話はできます。
伊藤氏: いつも介助されている方なら、よくお分かりになると思います。そういう方とご一緒にお乗りいただきたい。
佐 藤: 言語障害で通じにくいこともあると思って、太田君は自分で想定したいくつかの会話を、日本文と英文で紙に書き、持ってきています。通じない時は、その紙を出し、指をさして会話するつもりです。
伊藤氏: それだけでは十分ではないです。文章に書いてないことなどもありますし。
廉 田:
(友人)
英語とタイ語の会話文集も携帯していますよ。
伊藤氏: 十分ではない場合もあります。ご自分の体調が悪くなった時などに、伝えられないこともある。
   
佐 藤: アメリカでは、数年前にできた航空法で、障害者の差別は禁止しています。重度障害者の単独搭乗を認めていますよ。シンガポール航空もアメリカに乗り入れしていますよね?
伊藤氏: はい。
佐 藤: では、この法律は守らないのですか?
伊藤氏: この便は日本路線ですので、アメリカと日本は路線が違います。それに、私はその法律は存じ上げておりません。
廉 田: アメリカ系の航空会社は、太田君のような障害者が単独で搭乗しても拒否しませんよ。
伊藤氏: しかし、いざという時に安全性が確保できないのです。
佐 藤: 安全性とはなんですか?
伊藤氏: 緊急の場合、お一人で脱出できない。
佐 藤: 私も腰から下に障害があり、車椅子に乗っています。いままで数回、一人でシンガポール航空に搭乗したことがありますが、拒否されませんでしたよ
伊藤氏: 太田さんの場合は、言語障害もあり、上肢にも障害がある。
佐 藤: 一人で脱出できないという点では、私も同じですよ。私も歩けませんから、一人で緊急避難できません。同じではないですか?どうちがうのですか?
伊藤氏: ・・・。(あいまいな回答)
廉 田: あいまいですね。明確な基準はないのですね。
伊藤氏: (あいまいな回答を繰り返す)
   
佐 藤: 太田君のような障害者は、単独では搭乗は拒否するのですか?
伊藤氏: 拒否でありません。介助者がいればお乗りいただける。
佐 藤: 一人では搭乗できないわけですね?
伊藤氏: はい。前もって予約の段階で障害をお持ちだということをご連絡頂きたい。
佐 藤: おっしゃるとおりに、事前に障害者だと連絡したらどうなるのですか?
伊藤氏: 介助者とご一緒のお乗りいただきたいとお伝えします。
佐 藤: 結局同じ結果ですね。事前に連絡しても一人では乗れないのですね?
伊藤氏: 介助者と一緒であればお乗りいただけます。
佐 藤: 一人で乗るという話をしているのです。伊藤さんがおっしゃるように、予約時に障害があると伝えても単独での搭乗は拒否されるのですね?
伊藤氏: いままで太田様のような障害をお持ちの方は、一人も当社をご利用したことはございません。
廉 田: それは、事前に重度障害者だとわかって断ったからですよ。介助者と一緒じゃないと乗れませんと搭乗拒否したから、結果的に誰も乗っていないのです。
佐 藤: それは、搭乗拒否ではないですか。
伊藤氏: 拒否ではないです。介助者がいればお乗りいただける。
佐 藤: 一人では乗ってはいけないというのは拒否ですよ。これは差別ではないですか?
伊藤氏: 差別だとは思っていない。逆にお聞きしたいが、それであれば、意思疎通が難しい重度身体障害者も、一人で乗ってもいいと思っているのですか?
佐 藤: 私はそう思っています。障害者あることによって、単独での搭乗を拒否するのは、障害者差別だと思います。
廉 田: 呼吸器が必要な人のように、医療的ケアが必要な人は介助者の同乗が必要だと思います。しかし、太田君は脳性まひという障害があるだけで医療的ケアは必要ないです。病人ではないのです。障害があるだけです。実際、病院にも通ってないですよ。
佐 藤: シンガポール航空は、上記の理由で重度障害者の搭乗を拒否するということは、太田君のような障害者は、介助者と一緒じゃないと移動してはいけないと思っているのですね?
伊藤氏: はい。
佐 藤: 我々は、これは障害者差別だと思います。ですから、今後抗議します。いま、伊藤さんがお持ちの書類、今回の搭乗拒否の根拠になっているシンガポール航空の内規のコピーをください。
伊藤氏: これは内部資料なので、お渡しできません。
佐 藤: 搭乗を拒否されたのですから、その具体的な理由を知りたいのです。だから、その根拠となっている内規をコピーしてください。
伊藤氏: 内部資料なので、お渡しできません。
佐 藤: では、そこに書かれている英文を、日本語に翻訳して聞かせてください。書き取ります。
伊藤氏: (その場で翻訳し、以下、口頭で伝える。)
   
  シンガポール航空 内規
 
1. 前もって障害者だと申し出て予約する。
2. 身体障害、Special Attentionの必要な人は、シンガポール航空の指定の医者の診断書が必要。(これは、まずシンガポール航空がつくった質問シートに答える。それをシンガポール航空指定医者に見せて、判断してもらう)
3. 入国・経由する国が、身体障害があっても入国・経由できるか確認する。
4. 医者が許可した時は、シンガポール航空は、どういう条件で搭乗させるか確認する。例えば、介助者をつけて搭乗するなど。
5. 医者に確認し、航空旅行できないと判断したら、断ることもある。
   
今回の搭乗拒否は、太字の第4項目が適応されています。
   
佐 藤: 確認をさせてください。今回太田君を搭乗拒否したのは、下記の3点ですね。
   
@  言語障害がある。意志の疎通がスムーズに出来ない。何かあったときに意志が伝わらない。
A  上肢・下肢に障害がある。
B  介助者がいない。
   
伊藤氏: はい。そうです。

 しっかりと読んで頂けたでしょうか? たとえ予約の時点で障害者であることを言っていても、介助者をつけなければ単独搭乗は出来ないと言っていることが、障害者差別です。

 またこれまでの裁判で書類のやりとりをしていくうちにシンガポール航空(以後は被告という)は、次のように反論してきました。

 「被告は営利企業であり、一人でも多くの乗客を搭乗させてこそ、利益が上がるのもであるため、本件に関しての搭乗拒否は何のメリットもない」

 「原告(太田のこと)は介助が必要なのはまぎれもない事実であり、そのような乗客を搭乗拒否したからと言って、社会通念上において責められることではない」

 「被告は客室乗務員に対し、きわめて低い可能性であっても、事故が生じた場合を前提にした訓練を積んでいる。その上に原告のような乗客まで対応訓練をもおこなえと言うのは、客室乗務員へ過度の責任を負わせるものであり、不合理である」

 すなわち、被告は車いすで言語障害を持っている人に対し特殊な病気持ちの厄介者としか観ず、一般乗客とかけ離れた存在としか考えていません。日を改めておこなった被告との直接交渉の場で、被告の支配人がはっきりと「介助者がおられたら搭乗できるのだから搭乗拒否ではない!」と断言し、見た目で判断した障害者の人権差別を犯したことすら眼中になかったことが分かったため僕は裁判を起こしました。


「裁判の意義と目的」
 
 僕がまだ子供の頃は、JRの電車でさえも利用する3日ぐらい前に駅へ電話をして介助者の有無と乗る時間帯を言っておかなければ乗車が出来ませんでしたが、僕たちの先輩方が何度も乗車の権利をJRと戦い続け勝ち取って下さったからこそ、今こうして単独であっても電車に乗ることが出来るのです。

 それが航空機でも、僕ら障害者が一般の搭乗客と同じように拒否されずに電車と同じように単独搭乗が出来る当たり前の権利を今勝ち取っておかないと、後輩の日本の障害者たちがつらい目に遭うことになります。

 人としての人権が障害者に確立されていない現状は、今日においてまだまだあります。僕はその一つでも二つでもいいから障害者の人権差別をなくすために裁判を起こしました。

 ただ航空機に乗れず、悔しくて(僕自身はマジで悔しかったけど)裁判に踏み切ったわけではありません。日を改めておこなった被告との直接交渉の場で、被告の支配人がはっきりと「介助者がおられたら搭乗できるのだから搭乗拒否ではない!」と断言し、見た目で判断した障害者の人権差別を犯したことすら眼中になかったことが分かったためでした。

 メインストリーム協会は、どんな重度な障害者であっても人権を持ち、地域社会で自立した生活が送れるようにいろんな活動をしています。 僕は当協会のスタッフでもあります。ゆえに今回の事件において、個人的な主観では治まっておけません。

 障害者こそ社会を変えていく主役として「堂々と、またイキイキと生きていけるんや!」と思い直し、僕だからこそ出来る社会の役割を果たす…。 シンガポール航空搭乗拒否事件は、僕にとって障害者の偏見や差別をなくすためのお題目であり、これは僕に与えられた大きな社会の役割として裁判を起こしました。そして将来へ向けた障害者の人権差別をなくすきっかけでありたいと思っています。

新聞記事&経過
 
2003年  7月30日 関西国際空港シンガポール航空チェックインカウンターにて搭乗拒否を受ける。
 9月11日 シンガポール航空大阪支店にて直接交渉
2005年  2月24日 初公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 3月 9日 大田SQ搭乗拒否裁判サポーター会議
 3月26日 街頭募金活動(神戸元町)
 4月 3日 街頭募金活動(神戸元町)
 4月21日 第2回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 4月29日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 3日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 4日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 5日 街頭募金活動(神戸元町)
 6月18日 街頭募金活動(大阪梅田)
 6月19日 街頭募金活動(大阪梅田)
 6月25日 大田SQ搭乗拒否裁判サポーター会議
 6月30日 第3回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 7月16日 街頭募金活動(神戸元町)
 7月17日 街頭募金活動(神戸元町)
 7月18日 街頭募金活動(神戸元町)
 8月13日 街頭募金活動(大阪梅田)
 8月14日 街頭募金活動(大阪梅田)
 9月15日 第4回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 9月17日 街頭募金活動(神戸元町)
 9月18日 街頭募金活動(神戸元町)
 9月19日 街頭募金活動(神戸元町)
10月 9日 街頭募金活動(大阪梅田)
10月10日 街頭募金活動(大阪梅田)
11月 3日 街頭募金活動(神戸元町)
11月 5日 街頭募金活動(神戸元町)
11月 6日 街頭募金活動(神戸元町)
12月10日 街頭募金活動(大阪梅田)
12月15日 第5回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
2006年  2月16日 第6回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 3月18日 街頭募金活動(神戸元町)
 3月19日 街頭募金活動(神戸元町)
 3月21日 街頭募金活動(神戸元町)
 4月20日 第7回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 4月29日 街頭募金活動(神戸元町)
 4月30日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 3日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 5日 街頭募金活動(神戸元町)
 5月 5日 街頭募金活動(神戸元町)
 6月29日 第8回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 7月15日 街頭募金活動(神戸元町)
 7月16日 街頭募金活動(神戸元町)
 7月17日 街頭募金活動(神戸元町)
 8月19日 街頭募金活動(大阪梅田)
 8月20日 街頭募金活動(大阪梅田)
 9月16日 街頭募金活動(神戸元町)
 9月17日 街頭募金活動(神戸元町)
 9月18日 街頭募金活動(神戸元町)
 9月29日 第9回公判 神戸地方裁判所尼崎支部(証人尋問)
10月 9日 街頭募金活動(京都河原町)
10月14日 街頭募金活動(京都河原町)
11月11日 街頭募金活動(神戸元町)
11月12日 街頭募金活動(神戸元町)
12月21日 第10回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
2007年  2月26日 第11回公判 神戸地方裁判所尼崎支部(和解交渉)
 5月10日 第12回公判 神戸地方裁判所尼崎支部
 8月 9日 第13回公判 神戸地方裁判所尼崎支部(判決)