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メインストリーム通信49号

自立生活を守っていく為に。
メインストリーム協会 玉木幸則

 支援費制度が始まり、バタバタと6ヶ月が経とうとしてます。長いことメインストリーム協会に関わってきたスタッフであってもこの大きな制度変革などの動きに戸惑いを感じている者もいるくらいです。その中でメインストリーム協会がどういう立場で活動をすすめていくべきか。もう一度整理をしなければならない時期に来ていると思います。 自立生活センター・メインストリーム協会は、言うまでもなく障害者の自立(地域)生活(ひとりの人間として普通に地域で生活していく)ことをすすめていくところであります。しかし、一般的な障害者に対するゆがんだ見方や障害者施策(社会保障、教育システム等)の不整備等の理由により、なかなか自立(地域)生活がすすみにくい現状であります。このことについては、またの機会に詳しく書きたいと思っています。

 それでも、入所施設でもなく親元でもなく地域で一人暮らしをすることにより、その人がその人らしい生活を送っていけるはずなのです。そのためには、当然障害者自身が地域で生活していくという腹括りをすることが一番大切なことなのですが、それ以外にも一般的な障害者観を変えることや普通の生活を営んでいくために必要な社会保障の制度を整えていくことも重要になってきます。

 そこで今回は、その中でも社会保障制度の一つである「支援費制度」とメインストリーム協会について考えてみたいと思います。本来、メインストリーム協会が求めてきた介助保障制度は「ダイレクトペイメント制」です。これは障害当事者が使う介助料を行政から直接障害者に支給され、そのお金で障害者自身が介助サービスを利用するというものなのです。そう、支援費制度が始まるまで、メインストリーム協会が行っていたアテンダントサービスの形がそれに近いものなのです。自立の理念から考えると自分で生活を組み立ててそれを実現するという点では、一番望ましい形がこの「ダイレクトペイメント制」なのです。

 しかし、4月から始まった支援費制度では、都道府県が指定する事業所からサービスを受けるということが義務づけられており、制度を利用して自立生活を成り立たせていくためにはメインストリーム協会も兵庫県が指定する事業者になる必要がありました。その結果、障害者が直接介助者に利用料金を支払うことができなくなったのです。このことにより、当事者自身が自分でマネージメントして生活しているという感覚が薄らいでくる可能性もあります。また、本当はメインストリーム協会と障害者は同じ方向を向いて動いているはずなのに、事業者(メインストリーム協会)と利用者(障害者)の関係だけと捉えてしまうと、利用者は「お客さん」感覚になってしまい、本来、制度が整備されていないから生活上様々な問題が生まれているはずなのに、なぜか事業者であるメインストリーム協会が悪いと思い込まれる障害者も少なくはありません。こういう点から見ても制度が変わることにより私達が目指している自立の考え方がぶれてしまうとことは避けなければならないのです。支援費制度が始まってもやはり「自己決定」「自己責任」による自立を大切にしていきたいと考えています。

 一方でメインストリーム協会は、支援費制度の指定事業所である以上、事業者としての責任も果たしていく義務があります。例えば、これまでアテンダントも割と柔軟に働くことができていたと思います。と言うより、少々無茶をしてもとがめられることはありませんでした。長時間労働をしてもアテンダント自身が体力的・精神的にいけると思えば、限りなく働いていた人もいたり、ヘルパー等の資格を持っていなくてもアテンダントとして働いてもらうことができていました。(もちろん、今でも資格だけで障害者のサポートはできないと考えています)

 しかし、本来は障害者の権利を守ることは当然のことであるのはもちろんのこと、労働者(アテンダント)の権利も事業者として守っていかなければならないのです。それは、アテンダントとして長く働くことができる労働条件を少しずつ整えていくことが大切です。例えば労働保険や労災保険に加入すること。労働者として当たり前の義務である税金を納めること。労働基準法にも定められているように過重な労働をさせないことなど、社会一般では当たり前とされていることが、私達の世界では重要視されてこなかったことなのです。こういう事を書くとメインストリーム協会は堅くなったとかややこしいことを言っていると思う人がいるかも知れませんが、こういった当たり前とされていることさえ守っていくことができない事業所が、障害者の生活や人権も守っていけるはずがないのです。だから、これから利用者の意思に反してアテンダントの仕事量を調整しなければいけないことも出てくると思うし、こういうやり方だけを見て自立の理念から外れてる?と思う人もいるかもしれません。しかし、前に書いたように事業者としての責任を果たしていく為に必要なことであるいうことを利用者もアテンダントも理解して欲しいのです。

 また、障害者の介助の基本は、「利用者に聞く」ということであると言ってきたし、それはこれからも変わりません。しかし、当然アテンダントとして障害者の介助に必要な技術や家事援助に関わる技術も利用者のニーズに合わせて対応することが大切です。また、目まぐるしく変わりゆく制度のことや障害者の自立生活を考えていけるようにもなってもらいたいと思っています。その為に定期研修を開催し、アテンダントがいいサービスを提供できるように努めていきたいと考えていますので、研修会には積極的に参加してもらえればうれしいです。
 今回は、いろいろと堅苦しいことばかりを言ってきましたが、あまりこういう事を情報として出してこなかったことを反省しています。しかし、これからは、本当に大切な自立(地域)生活を守っていく為に、ちょくちょくと今考えていることや制度的なことなど、みなさんに知ってもらいたいことを伝えていきたいと思っています。



シンガポール航空 障害者搭乗拒否!

 2003年7月30日シンガポール航空SQ973便で、スタッフの太田雅之がバンコク(タイ)への旅行をしようとしたところ、単独での搭乗を拒否されるという事件が起こりました。太田は、脳性まひで全身性の障害があります。これまでにも海外旅行の経験は豊富にあったのですが、今回は初めての一人旅でした。詳しい状況を報告します。

1.当 日
(1)搭乗拒否の理由
 @言語障害がある。意志の疎通がスムーズに出来ない。何かあったときに意志 が伝わらない。
 A上肢・下肢に障害がある。 
 B介助者がいない。

 という理由で単独での搭乗は拒否されました。また、緊急時に緊急避難が一人でできな いということも言われた。

(2)太田側の説明
 @コミュニケーションが取れない時のために、太田は自分で想定した文章を日本語と英語で紙に書いて携帯しています。これを使います。この他にも、英語とタイ語のそれぞれの会話文集を携帯しています。

 Aいまトイレに行ってきたので、機内ではトイレ介助はいりません。食事も食べずに我慢するので、機内での介助は必要ありません。

 B関空出国ゲート→機内の座席→バンコク空港到着ロビーまでの移動介助だけでいいです。バンコクの到着ロビーにはタイ在住の知人が迎えにきます。

 C太田はバンコクまでのフライト約6時間は介助者無しで一人でも問題なく過ごせます。普段は一人暮らしで、毎日16時間程度は介助者無しで単独で過ごしてます。機内でも座席に座れば、介助なしで一人で過ごせます。

 Dアメリカでは、数年前にできた航空法で、障害者の差別は禁止しています。重度障害者の単独搭乗を認めています。アメリカ系の航空会社や、日本の航空会社は、太田君と同じ障害レベルの障害者の単独搭乗は認めています。

 E私(下肢障害があり、車椅子使用)も、車椅子に乗っているが、以前に数回、シンガポール航空を単独で搭乗したことがある。私も歩けないから、緊急避難できませんが、単独で搭乗できました。

 F太田は、いままでにも海外旅行は多数経験しています。旅行は初めてではありません。

(3)シンガポール航空の回答
 @言語障害があり、意思の伝達がスムーズに行えない。ご本人が何か伝えたい時に、伝わらないことがある。

 A手紙に書いた文章、会話文集だけでは十分ではない。(太田が携帯した文章は確認しなかった)

 B事前に障害をお持ちだということを予約時に教えて頂きたかった。そうしたら、介助者が必要だということをお伝えした。

 C介助者と一緒でなければ搭乗できません。いま、本社に確認しました。

 Dこの便は日本路線なので、アメリカと日本は路線が違います。私はアメリカの法律は存じ上げておりません。

 この様な話し合いを1時間以上窓口で行いました。シンガポール航空は、事前に障害があると連絡が欲しかったと繰り返していました。しかし、仮に事前に伝えたとしても、単独での搭乗は認めないといことがハッキリしました。結局、太田はバンコクへの旅行を中止に追い込まれ、空港から自宅へ戻るという最悪の結果になってしまいました。私達は障害者の単独搭乗を拒否することは障害者差別だと考えます。そこで後日シンガポール航空に対し話し合いの場を求めました。

2.第1回交渉(9月11日)
  出 席:シンガポール航空
       西日本地区支配人・関西国際空港支店長
       西日本地区旅客営業部長・カスタマーサービス部長
       メインストリーム協会:太田雅之・廉田俊二・佐藤聡
       DPI日本会議:尾上浩二

(1)要望項目
 @7月30日に貴社が搭乗拒否した理由を、再度説明してください
 A言語障害のある全身性障害者の単独搭乗を認めること
 B全身性障害者(上肢・下肢に障害がある人)であっても、障害の状態が  安定していることを当本人が告げれば、貴社は医師の診断書の提出を求  めず、一般搭乗客と同じように対応をすること
 C障害に対する正しい理解を社員に対し教育すること

(2)交渉の要旨
 抗議文と要望書を提出し、7月30日の太田の搭乗拒否の理由を再度説明確認した。はじめは@コミュニケーションが取れない(言語障害の為)A上下肢に障害がある、この2つを両方もっているということが搭乗拒否の理由だという説明だった。しかし、@とAの具体的な内容(例えば、どのレベルか? 太田はコミュニケーションがとれないと思っているのか? マイナーな言語しか話せない人も搭乗を認めているではないか?)の確認になると、答えはあいまいになり、「安全上の理由」ということを繰り返すばかりであった。

 我々は、太田の単独搭乗拒否は、障害者差別であり、今後はそのようなことがないように改善してほしいと訴えたのだが、なかなか理解を得られず、話し合いは噛み合わなかった。

 今回の話し合いは納得の行く説明が聞けなかったので、再度話し合いの場を設定してもらうこととなった。次回は太田搭乗拒否の根拠の説明、要望書の検討結果を説明してもらう予定。

 メインストリーム協会では、DPI日本会議の協力を得て、今後も継続してこの問題に取り組んで行きます。

※太田は単独での飛行機の搭乗経験あり。1995年10月、伊丹〜熊本を全日空機で単独搭乗。
※全身性障害者に対する航空機単独搭乗拒否は、公表はされていないので明確に実態はつかめませんが、かなりの航空会社であるようです。シンガポール航空だけの問題ではなく、航空業界全体に広がる問題のようです。



西宮市の介助制度を良くする会
2003年度第2次交渉 報告 佐藤

 4月からの支援費制度居宅介護の上限撤廃運動の結果、7月からは上限が撤廃されました。一応の成果は得たのですが、細かい課題は残っております。そこで、来年度に向けて良くする会として第2次交渉をスタートいたしました。これまでのところ、7月15日と9月3日の2回交渉を行いました。要望項目は下記の通りです。

要望項目

1.このたび支援費の利用上限が撤廃されましたが、今後は障害者の生活状況を正確に調査 し、生活実態に応じた支給決定をおこなってください。

2.現在、最重度の利用者が深夜に介助者を使う場合、支援費では深夜帯8時間で最大4.5時 間しか支給されません。最重度の人の中には、介助者がずっと起きて介助にあたらなければ ならない人もいます。ですから、利用者の状況に応じて、深夜帯8時間を支給するようにし てください。

3.現在二人介助は、入浴介助とその他の介助と2種類にわかれ、それぞれ異なった利用制限があります。その2種類の二人介助を統合し、支給決定をされた時間は利用者が自由に使えるようにしてください。

4.現在、西宮市では、利用者が入院した場合は支援費が使えません。東京都などは入院中も支援費が使えます。西宮市も利用できるようにしてください。

5.現状では、最重度の利用者以外は21時15分以降に介助者の交代が出来ません。これでは、急な予定変更に対応できません。日常生活において、予定が変わることは健常者でも当たり前にあることです。支給決定された時間数は、深夜帯でもどの時間帯でも自由に使えるようにしてください。

6.現在の支給決定は、利用が一番少ない状態に合わせて決められています。そのため、体調を崩し作業所などを休んで寝込んだ時などは、介助時間が足らなくなります。こういった緊急時に利用時間を増やせる方法を考えてください。

 現状では、改善されるかどうかは不透明です。課長は、@市の収入が減っているA今年度途中で上限を撤廃したので予算が増え、そのお金が出せるのかどうかも不確定、このような状況の中で予算が増える事業を来年度やるのは難しいということでした。来年度事業の市のスケジュールは、10月中旬〜11月上旬まで、障害福祉課、健康福祉局内で検討します。その後、財務部との課長ヒアリング・部長ヒアリング・局長ヒアリングを経て、1月頃には決まるそうです。山場は11月上旬までの局内検討です。ここで、局内で必要だとの合意を得て優先順位が高くならないと、来年度改善の可能性はなくなります。そこで、良くする会では10月下旬に第3回交渉を予定しております。上記の細かい規制は、西宮だけのおかしな規定です。なんとしても来年度にはこれらの規制を改善したいと考えております。


ダスキン研修生のメロディー、メアリーに会って来ました!

 夏がまだまだ終らない頃、メインストリームの山岸はアテンダントの山崎と共にフィリピンへ行ってきました。今回は重なる所もありますが前半メアリー編は山岸から。後半メロディは山崎からです。皆さんはダスキン障害者リーダー育成事業をご存知でしょうか?アジアから若い障害者リーダーが来日し、日本語や障害者の為の社会保障制度を1年間学ぶというものです。フィリピンからメインストリームへは、メロデイー(27才、ポリオ、車いす)が約3ヶ月間、メアリー(25才、ポリオ、松葉杖)が4日間、それぞれ西宮を訪れ自立生活センターについて研修しました。実は毎年、メインストリームではアジアの研修生受け入れプログラムをやっているので、知らなかった人はこの機会に知って下さい。

 メインストリームのスタッフとは仲良しの彼女達ですが、フィリピンに帰って元気にしているんかな?地元でどんな活動を展開してるんやろ?フィリピンってどんなとこ?等、様子が気になるところです。いつも明るい二人が、日本ほどバリアフリーが進んでいないことや根強い差別があることなどから閉じこもった日々を過ごしてないか、(そんな心配はおそらく無用な二人でしょうが…)いっちょ感動の再会を果たす為、二人のもとを訪れました。フィリピンはルソン島を中心に多くの島々から成り立っていて、そのルソン島に首都マニラや二人の家があります。マニラからメアリーの職場のあるヌエバヴィスカヤまで、バスで7時間程。バスはかなり発達していてルソン島内ならほとんどの所に行けます。メアリーはとても行動力のある女性で、様々な所を飛び回り、彼女は州政府機関の一つである障害者が経営するレジャー施設のマネジャーで、障害者を援助、障害者美人コンテスト、啓発セミナーなどをやっていました。そこではポリオや切断などの軽度障害者が沢山働いていました。また世界8不思議の広大なライステラス(段々畑の水田で見応えあり!)や私達を様々な所へ連れて行ってくれたのですが市役所を訪れた際、メアリーから市長を紹介されびっくりしました。日本で1年間障害者福祉を学んだこと、フィリピンにも自立生活センターを作りたいことを要望し、市長は大賛成してくれました。メアリーを通じて沢山の障害者と出会い、時にはご馳走も。食事は醤油ベースの味付けも多く、日本人の口に合う他にマンゴーなどのフルーツが超美味!ホームステイ先でマンゴーシェーキを頂き、3杯もおかわりしました。バナナシェーキも負けてません。バナナも種類が豊富で色んな味がありあなどれません。ヌエバヴィスカヤは田舎で、マニラは大都会です。メアリーは7月に帰国し、週末だけマニラのホテルで受付のアルバイトをしていたそうです。記憶に新しいと思いますが、先の軍人によるクーデターでホテルが炎上したそうです。TVをみたら燃えてたらしいです。政治がごたごたしていてクーデターが起こるたび大統領が交代したと知りました。また、メアリーに政府の福祉機関に連れて行かれ、インタビューを求められたこともあり、障害者の自立の話から、屋代えい太がフィリピンに来たという話まで、皆、日本の障害者の現状や政策に興味があり、自立生活センターも作ってみたい、その為に日本に行き勉強したいとのことでした。正直、沢山の人から言われ返答に困りました。来日する為のスポンサーが必要だからです。だったらこっちが行く方が早そうです。残念ながらフィリピンでは、まだまだCPなどの重度障害者は社会から切り離されています。家からほとんど外に出る事が出来ません。彼らの自宅を訪問する機会に恵まれ「何かやりたいことがありますか?」私が質問したときのことです。それは悪い質問だと言われました。うーん、当たり障りのない質問しかできない。字も書けないし外にも出られないから…重度障害者が何かする場合に悲観視されてしまうのです。政府の施策と実際の障害者の暮らしには大きな隔たりがありますが、障害があってもなくてもあたりまえに暮らせる国を目指してメアリーとメロディーに頑張って欲しいと思います。日本で学んだ経験とアイディアで、彼女達の手による自立セミナーがフィリピンで実現できることを心待ちにしています。


Melodyに会ってきたよ〜!!

 マニラからバスに乗ること5時間と少し、ど田舎だと噂のMelodyの住む村に到着しました。バス停では雨期の冷たい雨の中、いつ来るか分からないうちらを夜中1時過ぎに、お父さんがトライシカル(バイクタクシー)で迎えに来て待っててくれました。そのトライシカルに乗ってMelodyの家に到着。喜びの再会もそこそこに、長旅のせいでうちもぎしこさんもトイレの我慢は限界。「トイレ貸して下さい!」とお父さんがおもむろに鍵を持ってきました。「あれ?言葉が通じなかったかな?」と考えてると、お父さんはうちらのために傘も用意してくれました。そう トイレは外でした。夜中だったので、よくは見えませんでしたが、どうみてもドアがない!押すだけのトタンがあるだけ!その中でゆらめくキャンドルの光の元、うちらは用事をすませました。朝になるとあらためてびっくり。ポンプ式の水道にかまど、豚小屋に子連れの鶏家族。藁葺きの屋根。お母さんが「ココナッツは好きか?」と裏の木からもぎたてのココナッツを持ってきてくれました。

 Melodyの職場Activities of SABAK CBR(Comunity Based Rehabilitation)は教会の隣にありました。お金はなく、Melody自身ボランティアだそうですが、活動は地域と深く関わりながら、活発に行われてました。リハビリテーション、在宅障害者の為のPTの地域派遣、Advocacy、学校に行けない障害者の為の教育、手話などのTraining Seminor、また交流の為のChristmas Party、その他Meetingなど、黒板にはびっしりスケジュールが書かれていました。Adovocacyでは、障害者の受け入れをしなかった学校に対し、抗議行動と話し合いをし、今では通える人は通ってもいいと言うことになったそうです。ただ、外に出れない障害者も多いそうです。PTの地域派遣を見学させてもらいましたが、日本の様にに車イスが支給される訳ではなく、お金もないので沢山の人が車イスに乗れず、何年も家から出られない生活を送っているそうです。「メインストリームの皆さん。是非中古車イスを下さい!」、Melodyは「廉田さんは(障害者はだからといって)がんばらなくていいと言いました。でも私はがんばっています」と笑いながら話してました。ちょっとせつなかったです。Melodyは、このCBRで立派に代表を務めていました。日本にいる時は明るく大きな声で冗談を言っていたかわいいMelodyがここではとても頼もしいリーダーに見えました。

 Maryには、遊びも仕事場や数カ所の障害者団体など色々案内してもらいました。Maryはいろんな障害者団体を飛び回って橋渡しをする、ばりばりのキャリアウーマンって感じでした。時には案内された会議室に10人程の人たちが待っていたこともあり、焦る事も皆口をそろえていうのが、「援助が欲しい。車椅子が欲しい。日本に障害者のことを学びに行きたい。もっとCILについて教えてくれ。」などで、なにもできないうちには心苦しく、ぎしこさんの「ボスに相談してみます」と言う言葉にお任せでした。よかったーぎしこさんがいてMaryの働く職場では年に一度、フィリピン全土から集まった障害者のミスコンが行われるそうで、MaryやMelodyも女王に選ばれたそうです。見せてもらった写真には、盲人やCPもいて、やるな〜ってかんじでした。

 その他、ボラカイ島や、マニラの観光ショッピングなどいろんな所へ連れて行ってもらいました。その時感じたのは、フィリピンの人の障害者の人に対する態度です。分からなくても、とりあえず助けに来てくれます。障害者を見ても嫌な顔をせず、手伝ってくれるところは手伝ってくれて一人の人間として扱ってくれます。手伝ってくれた後は、気さくに話しかけてきて会話がはずみます。とても好印象でした。Maryの友達に聞いた話では、フィリピン人は障害者を認め、受け入れます。健常者と障害者の結婚も沢山あるそうです。ただ、お金がないので、設備や環境、制度が整わないのだと。でも、少し引っかかることも。Maryに連れて行ってもらった、ある街の市長の言葉でした。障害者の社会参加や、学校の受け入れも是非進めていきたい。しかし我が町にはお金がない。障害者を受け入れるだけの設備も教育をできる人材もない。う〜ん お金が無くても受け入れることはできるんじゃないかな。教室1階にすればいいじゃん?と思いましたがどうでしょう?ここからはMelodyやMary達の出番ですね。みんな温かく受け入れる気はあるんですから、障害者の認識を改め、とりあえず現状の中からより多くの障害者の社会参加ができたらいいな〜と願うばかりです。この一生懸命に頑張る友人達の今後の活躍に期待をしていきたいです。また何か私に手助けができればいいのですが…何ができるかな。



フジイ君の東尋坊恋歌
〜福井県は東尋坊だけちゃう!自立生活センターもあるざぁ!〜

 こんにちは、みなさん。藤井です。7月いっぱいまでメインストリームで研修を受けてました。メイン通信で、たまに書かせてもらっていました。僕は7月の終わりにメインストリームで勉強したことを役立てるために福井に帰りました。そこで、今回僕が福井に帰ってからの状況をレポートしたいと思います。

 僕が福井に帰る日はメインのみなさんに見送ってもらいました。総出で来てくれてとても感激しました。みなさんとは次の日からは会えないと思うと嘘みたいな感じでした。メインストリームでは自分たちの権利の訴え方を学びました。障害者があたりまえに地域で暮らすことの大切さがわかりました。福井でも町で障害者を当たり前に見る環境になってほしいと思い福井行きの電車に乗りました。電車の中ではメインのみなさんが総出で見送ってくれたので福井では誰が出迎えに来てくれるのか考えていました。

 そして実際に電車を降りようとしたとき、そんなことを考えることもできなくなりました。それは、車いすで降りるときに普通は駅員がスロープを出してくれるはずなのに一向に出てこないのです。ホームから電車の出入り口が高すぎてスロープがないとどう考えても降りられないのです。しかも、その電車は福井が終電ではなかったので降りないと次の駅まで行ってしまうのです。駅員を呼びに行ってる時間もなく、ほんとに介助者だけでは降りれなかったので近くにいた人に手伝ってもらってなんとかなりました。いきなりJR福井の僕への歓迎ぶりにちょっと燃えてしまいました。さっそく駅員に文句を言うと、大阪駅からは僕が降りるということを聞いてませんというのです。そんなことないやろと思い大阪駅に聞いてもらい、スロープがなくて降りれなかった状況を説明しました。僕が大阪で福井行きの電車に乗ったのは知ってたはずです。結局は問いつめると大阪駅の連絡ミスということがわかりました。

 そんなこんなで誰が出迎えに来てるかなんて考えてなかったですが、気を取り直して改札口へむかって行きました。誰かは来てくれると思い感慨深く福井駅を見回していたら、僕の幼なじみの男友達と元メインストリームの介助者の清水君が来てくれました。僕の帰りを男二人も待っていてくれたのです。感激せず涙も出ませんでした。でも、来てくれたのは嬉しかったです。ほんとですよ。そして、その足でまず代表にあいさつするために事務所に向かいました。ここでちょっと説明します。その友達とは、今福井で介助を入れながら一人暮らしをしていて、清水君はというと7月から福井の自立生活センターの介助者になりました。そんなわけで僕の福井での新しい生活が始まりました。

 今年から支援費制度がスタートして今までホームヘルパー制度が乏しい地域も少しマシになりました。福井もその乏しい地域の一つですが、マシになったといっても身体介護で最高一日5時間というレベルなのです。そんなとこへ制度が整ってる西宮から帰るなんて僕はどうかしてるんじゃないかと思います。それで、どうかしてる僕が帰ってしたことはまず制度交渉です。帰った次の日から交渉でした。その交渉は二週間ほど前に一度福井に戻って、僕が8月には福井に帰ることを話しておいたので、その後どんな結果が出ているかちょっと楽しみでした。交渉の席では僕の他に福井のセンターの代表も同席してもらって挑みました。福祉課長も同席してもらっての交渉でした。今年の4月になって課長が移動で変わったのでどんな相手かを予想もできませんでした。支給時間の少ない結果が予想できたので僕はどんな相手だろうと怒って話をするつもりだったのですが、その課長というのがとんでもなく腰の低い人だったのです。こちらの要望では支援費で24時間を訴えることでやっていこうという考えでした。課長と話してみると福井市では一日9時間までしか出せないので申し訳ないがあとはなんとかしてもらえないかというのです。それでは生活できるわけないやろというのを説明して次回までに結論を出してもらうということで第1回目の課長との交渉を終えました。西宮では月380時間の支給を受けていたという実績があるので少なくとも同等の時間までは持っていきたいと思っていました。24時間を訴える上でそれがまず第一段階だと考えていたので最後まで交渉する気持ちでいました。

 そして、何回か交渉するうちにあるとき僕の自宅で交渉することになりました。まだそのときは一日15時間というとこで止まっていたのですが、当然それでは満足いかないので初対面の福祉部長と話をすることにしたのでした。

 今まで誰も会ったことがない部長なので、いつもよりも緊張していました。部長とは一度しか話していませんが、ほんとむかつく人でした。僕は介助者と二人なのにむこうは部長と担当の人の二人で三人いたのです。部長はまったく話にならん人です。頭にきて思わず喧嘩になりそうでした。部長は最初から交渉というふうに考えてなかったので短い時間しかとっていません。しかし、部長がほんとに理解したかはともかく、それがきっかけで必要度を福祉課全体の問題として考えてもらえるようになりました。その後、改めて課長と交渉をしてなんとか一日20時間支給で決定しました。前にも言ったように福祉課長は腰の低い人で言葉遣いも丁寧で悪い人ではなさそうでした。部長からは予算をできるだけ使わないように言われ、僕からは障害者を殺す気かと脅され、首でもつるんちゃうかと思うくらいなので、もう課長をいじめるのをやめて残りの4時間は他人介護で補うことにしました。それで会わせて24時間です。今回はこの辺で。西宮のフジイファンの皆さん、次回もいい報告ができるよう頑張りますのでよろしくお願いします。ファンレターも待ってます! 福井の空からフジイでした。つづく


事務局日記
 うっひ〜、さぶ〜、朝シャンの辛い季節が近寄ってきましたね。事務所の中も暑いのか寒いのか訳がわからず、エアコンのON!OFF!の応酬です。暑がりのCP VS 寒がりの頸損&骨形、どっちかわからない脊損に加えて冷え性の健常者までもが参戦・・・。う〜ん、主導権争いは果てしなくつづきそうですな!(なかちん)