| 1号 | 2号 | 3号 | 4号 | 5号 | 6号 | 7号 | 8号 | 9号 | |
| 10号 | 11号 | 12号 | 13号 | 14号 | 15号 | 16号 | 17号 | 18号 | 19号 |
| 20号 | 21号 | 22号 | 23号 | 24号 | 25号 | 26号 | 27号 | 28号 | 29号 |
| 30号 | 31号 | 32号 | 33号 | 34号 | 35号 | 36号 | 37号 | 38号 | 39号 |
| 40号 | 41号 | 42号 | 43号 | 44号 | 45号 | 46号 | 47号 | 48号 | 49号 |
| 50号 | 51号 | 52号 | 53号 | 54号 | 55号 | 56号 | 57号 | 58号 | 59号 |
| 60号 | 61号 | 62号 | 63号 | 64号 | 65号 | 66号 | 67号 | 68号 | 69号 |
★★メインストリーム通信57号★★
「太田シンガポール航空搭乗拒否事件」の概要と目的を改めて。
スタッフの太田です! 僕は2年前の今頃、1人でタイはバンコクへ行こうと思ったのですが、利用するはずだった「シンガポール航空」に搭乗拒否を受け、バンコクに行けませんでした。僕は障害者の移動の権利を侵害されだと感じ、メインストリーム協会の仲間と共に裁判を起こしました。この通信で何度も載せていますが、まだまだ、この裁判の大切さ、この問題の根源をご理解して頂けていないことに、メインストリーム協会スタッフ一同、心ぐるしく思い、今回「太田シンガポール航空搭乗拒否事件」を特集することになりました。また当協会、会員(利用者さん、アテンダントさん)の皆様にもメインストリーム協会が障害者の権利を守る運動団体であること、会員の皆様も、その一員であるということをもう一度認識して頂ければと思います。
03年7月30日に、僕はタイのバンコクに住む友人へ会いに行くため、関西空港からシンガポール航空を利用し、バンコクへの一人旅の計画を立てました。これまでバンコクへは3回、アテンダントさんと一緒に行ったことがありますが、海外への一人旅は初めてでした。確かに僕は日常生活において一日平均8時間の介助者を利用していますが、後の16時間は一人です。トイレも自分で処理ができていましたし、その友人は、僕に必要な介助は一通り出来るので、友人にバンコク国際空港の到着ゲートまで出迎えに来てもらえれば、一人になる時間は航空機に乗っている間の5時間なので、僕は大丈夫だと判断し、初めての一人旅を決心しました。
よって、特に不安もなく出発の朝を迎えました。午前8時のチェックインに間に合うよう、佐藤さんの車が7時に僕の家へ迎えに来てくれました。すでに車には廉田さんと中林君が乗っていて、関空までの道中「友人と遊びすぎたら、あかんで!」「友人がバンコクの空港に来てなかったら、どうする?」みたいな冗談も交え、楽しく関空へ向かいました。
関空へ着き、まず僕は予約していた航空券をもらいに4階の中央カウンターへ行った後、シンガポール航空のカウンターで、僕がチェックインしている間、僕の代わりに佐藤さんがカウンターの従業員へ単独での搭乗を伝え、@搭乗ゲートから機内へと車いすを押してもらう。A機内での食事とトイレ介助。Bバンコク到着後、機内から到着ゲートへの移動。を依頼してくれました。また依頼を聞いた従業員は、何のかげりもなく「はい、全く問題ありません。食事のお手伝いも喜んでさせて頂きますので、ご安心下さい」と、予想以上の返事が即答でもらえました。
チェックインを済ませた僕らは出国ゲートで係員と落ち合うまでの1時間、空港内の喫茶店へ。また関空への道中と同じような会話で、廉田さんは焼きそばを頬張り「スッチーに食事介助してもらえるって、ええのぉー。ワシも今度、頼んでみようかな?」と僕を冷やかしつつも、本当にうらやましそうにしていたこと、今でも覚えています。こんな感じで、あっと言う間に時間が経ち、ぼちぼち出国ゲートへ向かおうかとしたとき館内放送が!「太田様、シンガポール航空チェックインカウンターへ…」僕たちは従業員との待ち合わせが出国ゲートからチェックインカウンターになったのかなとしか思えず、もうすでに僕の脳裏にはバンコクで待っている友人の笑顔しか浮かんでいませんでした。しかし、僕の脳裏から友人の笑顔が消えて真っ白になってしまった悪夢の悲劇は、数分後に起きたのでした。
チェックインカウンターに着くと預けたはず僕の荷物が。奥から男の人が僕らの方へ。「シンガポール航空カスタマーサービス部長の伊藤です」と述べた後、冷静に「実は、今回、太田雅之様は介助者がおらず、単独の搭乗を認められません」と。僕らは何を言われているのか理解できず、もう一度聞き返しました。伊藤氏は同じ言葉を繰り返し言われ、やっと悪夢の悲劇が訪れたことを知りました。
僕は一つ一つ脳裏で「飛行機に乗れないと言うことは、バンコクへ行けない。バンコクへ行けないと言うことは、友人に会えない。と言うことは…。オーイ、何するねん!」と確認して行くうちに、ことの重大性が見えてきました。それでも今後の行く末をどうしていいのかわからず、必死で廉田さんと佐藤さんが伊藤氏へ抗議している光景を見守るしかありませんでした。以下の文章は、佐藤さんが事件後に書かれた伊藤氏へ抗議をしたやりとりの状況です。(シンガポール航空空港カスタマーサービス部伊藤昇部長との話し合いの要旨。)
佐 藤:太田は意志の疎通が出来ないといいますが出来ますよ。言語障害はあるが話はできます。
伊藤氏:普段介助されている方なら、よくお分かりになると思います。そういう方とご一緒にお乗りいただきたい。
佐 藤:言語障害で通じにくいこともあると思い、太田は想定した会話文集(日本語・英語・タイ語)で紙に書き持ってます。通じない時は、その紙に指をさして会話するつもりです。
伊藤氏:十分ではない場合もあります。体調が悪くなった時など伝えられないこともある。
佐 藤:アメリカでは数年前にできた航空法で障害者の差別は禁止しています。重度障害者の単独搭乗を認めてますよ。シンガポール航空もアメリカに乗り入れてますよね?
伊藤氏:はい。
佐 藤:では、この法律は守らないのですか?
伊藤氏:この便は日本路線ですし、それに私はその法律は存じ上げておりません。
廉 田:アメリカ系の航空会社は太田のような障害者が単独で搭乗しても拒否しませんよ。
伊藤氏:しかし、いざという時に安全性が確保できないのです。
佐 藤:安全性とはなんですか?
伊藤氏:緊急の場合、お一人で脱出できない。
佐 藤:私も腰から下に障害があり車イスに乗っています。過去に数回一人でシンガポール航空を利用しましたが拒否されませんでしたよ。
伊藤氏:太田さんの場合は、言語障害もあり、上肢にも障害がある。
佐 藤:一人で脱出できないという点では、私も同じですよ。私も歩けませんから、一人で緊急避難できません。同じではないですか? どうちがうのですか?
伊藤氏:・・・。(あいまいな回答)
廉 田:あいまいですね。明確な基準はないのですね。
伊藤氏:(あいまいな回答を繰り返す)
佐 藤:太田のような障害者は、単独では搭乗は拒否するのですか?
伊藤氏:拒否でありません。介助者がいればお乗りいただける。
佐 藤:一人では搭乗できないわけですね?
伊藤氏:はい。前もって予約の段階で障害をお持ちだということをご連絡頂きたい。
佐 藤:おっしゃる通り事前に障害者だと連絡したらどうなるのですか?
伊藤氏:介助者とご一緒のお乗りいただきたいとお伝えします。
佐 藤:結局同じ結果ですね。事前に連絡しても一人では乗れないのですね?
伊藤氏:介助者と一緒であればお乗りいただけます。
佐 藤:一人で乗るという話をしているのです。伊藤さんが言うように、予約時に障害があると伝えても、単独での搭乗は拒否されるのですね?
伊藤氏:今まで太田様の様な障害をお持ちの方は一人も当社をご利用した事はございません。
廉 田:それは事前に重度障害者だとわかって、断ったからですよ。介助者と一緒じゃないと乗れませんと搭乗拒否したから、結果的に誰も乗っていないのです。
佐 藤:それは、搭乗拒否ではないですか?
伊藤氏:拒否ではないです。介助者がいればお乗りいただける。
佐 藤:一人では乗ってはいけないというのは拒否ですよ。これは差別ではないですか?
伊藤氏:差別とは思っていない。逆にお聞きしたいが、それであれば意思疎通が難しい重度身体障害者も一人で乗ってもいいと思っているのですか?
佐 藤:私はそう思います。障害があることで単独での搭乗を拒否するのは、障害者差別だと思います。
廉 田:呼吸器が必要な人のように医療的ケアが必要な人は、介助者の同乗が必要だと思います。しかし太田は脳性まひという障害があるだけで、医療的ケアは必要ないです。病人ではないのです。障害があるだけです。実際、病院にも通ってないですよ。
佐 藤:シンガポール航空は上記の理由で重度障害者の搭乗を拒否することは、太田のような障害者は、介助者と一緒じゃないと移動してはいけないと思っているのですね?
伊藤氏:はい。
佐 藤:我々は、障害者差別だと思います。ですから今後抗議します。伊藤さんがお持ちの書類、今回の搭乗拒否の根拠になっているシンガポール航空内規のコピーを下さい。
伊藤氏:これは内部資料なので、お渡しできません。
佐 藤:では、そこに書かれている英文を日本語に翻訳して聞かせて下さい。書き取ります。
| シンガポール航空 内規 1.前もって障害者だと申し出て予約する。 2.身体障害、Special Attentionの必要な人は、シンガポール航空の指定の医者の診 断書が必要。(まずシンガポール航空がつくった質問シートに答える。それをシンガ ポール航空指定医者に見せ判断してもらう) 3.入国・経由する国が、身体障害があっても入国・経由できるか確認する。 4.医者が許可した時は、シンガポール航空は、どういう条件で搭乗させるか確認する 例えば、介助者をつけて搭乗するなど。 5.医者に確認し、航空旅行できないと判断したら、断ることもある。 ※今回の搭乗拒否は、太字の第4項目が適応されています。 |
佐 藤:確認をさせて下さい。今回太田君を搭乗拒否したのは下記の3点の理由ですね。
@言語障害がある。意志の疎通がスムーズに出来ない。何かあった時に意志が伝わらない。
A上肢・下肢に障害がある。
B介助者がいない。
伊藤氏:はい、そうです。
みなさん、しっかり読んで頂けたでしょうか? 例え予約の時点で障害者だと伝えても、介助者を付けなければ搭乗出来ないと言っていることが障害者差別です。また日を改めておこなったシンガポール航空との話し合いでも、シンガポール航空支配人がはっきりと「介助者がおられたら搭乗できるのだから、搭乗拒否ではない!」と断言し、「障害者差別」など眼中にないと分かったため、僕は裁判を決意したのです。障害者の移動の権利がシンガポール航空の一方的な判断で侵害されたのですから。また、この問題を自分のことのように共感してくれたメインストリーム協会の仲間と共に、裁判は尼崎簡易地方裁判所にて現在進行中です。次回は、9月15日13時15分〜です。
次に裁判のことですが、シンガポール航空(被告)は、このように反論しました。「被告は営利企業であり、一人でも多くの乗客を搭乗させてこそ、利益が上がるのもであるため、本件に関しての搭乗拒否は何のメリットもない」、「原告(太田)は介助が必要なのはまぎれもない事実であり、そのような乗客を搭乗拒否したからと言って、社会通念上において責められることではない」「被告は客室乗務員に対し、きわめて低い可能性であっても、事故が生じた場合を前提にした訓練を積んでいる。その上に原告のような乗客まで対応訓練をもおこなえと言うのは、客室乗務員へ過度の責任を負わせるものであり、不合理である」。また、裁判で交わされている書面の中でシンガポール航空は「車いすで言語障害を持っている人」=「特殊な病人」と考え、一般乗客とかけ離れた存在としか考えていないと僕は感じました。
次にシンガポール航空が単独搭乗を断った理由の上記3点に対してですが、確かに僕は、日常生活の中でアテンダントを利用していますが、1日16時間は1人です。介助者がいなくても買い物などで電車やバスを利用し、各箇所でコミュニケーションを図り、出かけています。言語障害があっても実際にある程度の言葉は通じると言うことであり、「言語障害があるために意思の疎通が図れない」ことは、全くにして見た目だけの判断しかありません。次に「介助者が居ない」点では、1日16時間も介助者の居ない時間を過ごしている現状と、医療的な介助を必要としないことから問題ないです。それに出発前に食事とトイレを済ませば、よほどのことがない限り乗務員の手を借りることはないのです。あっても機内食のフタを開けてもらう程度で、以前に介助者と一緒だった際にも親切に乗務員が介助者を制してまでも、フタを開けてくれたのを覚えています。機内で介助が必要なことは、座席から車いすに乗り移る時だけです。緊急時のことを話せば、上記で佐藤さんが言われてるように車いすに乗っている人、全てにおいて一人で脱出することは出来ません。佐藤さんが何度もシンガポール航空に単独搭乗をしていたことから、介助者が居ない僕であっても単独搭乗は可能です。ちゃんとバンコクで友人がいるため、バンコクまでの介助者は必要がないと判断しました。よってシンガポール航空の見た目だけの判断、一方的な判断であるということは明らかです。
障害を持っている僕だからからこそ出来ることは、「社会から障害者への偏見や差別をなくすこと」です。たからこそ僕は、メインストリーム協会スタッフになったのです。シンガポール航空搭乗拒否事件は、僕に与えられた大きな社会の役割なんだと思えたからこそ、僕は裁判を起こしました。そしてメインストリーム協会の皆さん(利用者さん、アテンダントさんを含めて)が自分のことのように賛同して下さり、一緒に訴え社会を変えようと大勢の人が行き交う神戸や大阪の街頭で「僕たちの権利」を大声で、うっとうしがられながらもビラを配ったりと、本当に必死の思いで、この暑い中、市民のみなさんにも理解を得るため、裁判費用のための募金活動をおこなっています。ところが最近、一部の方から「どうして介助者と一緒に乗らないのか?」「わざわざバンコクまで友人に会いに行かなくても」と聞きました。本当に『メインストリーム協会の会員の方』だと思うと悲しかったです。僕が「介助者が必要ない」と判断してはいけないのですか。プライベートだから泣き寝入りしろ!とでも言うのですか。
僕 は、この記事を読まれている皆さん全てに対して、シンガポール航空搭乗拒否事件の直接的なご協力をして下さいとは申しません。ただ裁判の概要と目的だけははき違えず、将来へ向け、障害者に対する差別をなくすきっかけでありたいと思っておこなっている裁判に、みなさんのご理解を切にお願い申し上げます。そして下手くそな長文を最後まで読み切って下さり、本当にありがとうございました。(太田雅之)
2005障害者自立支援制度セミナー1
−グランドデザインから障害者自立支援法の行方−
7/2(土)に05 障害者自立支援制度セミナー1「グランドデザインから障害者自立支援法の行方」に、すっかり遊び人のイメージが定着してしまった、私、沖田が参加してきました。まずは基調講演、講師:北野誠一さん(西宮市障害者福祉推進計画策定委員長)障害者自立支援法の動向と西宮市の福祉政策のありかたなどを分かりやすく語ってました。その後、我らの「玉木先生」がシンポジストとして参加する、シンポジウム『あらためて わがまちの障害者地域自立生活を問う!』がありました。
ピアサポート・西宮から玉木さん(身体)、NPO法人ハートフルから水野さん(精神)、社会福祉法人一羊会「であい」から原田さん(知的)と、それぞれの障害分野の制度や仕組みの問題点や今後の課題などを話していました。特に精神・知的・身体、それぞれの自立の考え方を聞いたのですが、基本的には三障害同じで、「自己決定・自己選択」が基本的な考えでした。しかし、自立となると精神・知的は社会の仕組み上難しい人もいるので、施設と地域の中間(グループホーム)などが必要。もっと増やしていかなければならないと、話していました。
西宮の福祉のことで、三障害それぞれの現状と今後の方向性の話になったとき、精神・知的の分野には、あまりにも制度や仕組み、ヘルパーなどの地域で生活していく為の資源が少ないので増やしていけるように活動していくとか、利用する人のニーズを聞いて今後の活動の方向性をみいだしていくといった回答がありました。
身体の方ではこれまで精神・知的の分野に関わっている人達から「身体は制度が充実してていいなぁ」とか言われ続けてきたけど、これは常に役所に対して訴えかけてきたから、今後もなにか問題があれば、そうしていくと玉木氏が説明していました。僕、個人的な感想は、これからは三障害共々、障害当事者、関係者など、それぞれの立場で生活しにくいならもっと積極的な運動をしていかなあかんなと思いました。最後のまとめとして、玉木氏はやっぱり人気者でした。(沖田)
あと、こういったセミナー(勉強会)の情報は事務局まで問い合わせて頂ければと思います。通信でも載せていきますよ。ちなみに
8月18日、午後2時から西宮市総合福祉センターで「デンマークに学ぶ障害者支援と自立支援」という、講演会がありますよ!(要予約)
7月5日全国大行動報告
障害者自立支援法案の衆議院厚生労働委員会採決が迫る中(7月13日に委員会採決され15日に衆議院通過しました。)、全国大行動が厚労省・国会周辺でありました。今回はJD(日本障害者協議会)や聾唖協会などの団体との一体行動でした。悪天候が予想されましたが、強い日差しのもとで全国から約1万1千人が集結しました。デモ行動と国会議員回りの二本立てでした。正午に野外音楽堂と厚労省前に集合しました。野音では一連の行動の中心となる集会があり、長時間介助が必要な当事者や精神や知的や聴覚の当事者や関係者が法案への懸念、生活への不安、国への要望などを心の限り訴えかけました。一方で厚労省前では私たち自立生活センターを中心にデモ行進出発までビラ撒きとアピールを行いました。
集会後、議員回り部隊は衆参議員会館に向かいました。1グループで20人の議員を担当。議員回りは、議員不在のときには秘書に支援法の問題、改善点を説明し、要望書を手渡しました。反応や対応は様々で奥まで通して話を聞いてくれるところや入口で軽く話を聞くだけのところがあって、支援法の理解度や認識度においてもバラつきがありました。私たちの命や人権や生活にかかわる法律なのにバラつきがあることを最初からわかっていましたが、あらためてショックを受けました。
デモ行進は厚労省周辺から国会、議員会館まででしたが、今までにない規模だったので待ち時間の方が長かったです。以上大行動の報告を終えますが、7月13日(水)の委員会採決を迎えるのにあたって12日(火)の晩より座り込みがありました。メインストリーム協会からも3+3+1?人の勇者が闘いました。本当にお疲れ様でした。残念ながら審査会、長時間介助、応益負担、移動介護などの問題を抱えたまま、支援法案は衆議院を通過してしまいました。この通信がみなさんに届いたころには参議院でも可決されて成立している可能性がありました。ところが、郵政民営化法案が8月8日(月)の参議院本会議で否決されたのを受けて、衆議院が解散されたために障害者自立支援法案は廃案となりました。しかし、厚労省は支援法案成立を強く望んでおり、秋以降の国会に必ず再提出されます。私たちは本当に大切な時間を手に入れました。選挙もあります、国会議員への働きかけなど重点的に行っていく必要があります。国の動向も注意深く見ていく必要があります。本当に大切な局面です。私たちの生活のすべてがかかっています、あきらめずにがんばっていきましょう。私たちは最後の最後までたたかうぞ (^o^)/ 藤原K
全国一斉行動in兵庫
6月末、我々はJR元町駅に集合し14時から兵庫県障害福祉課との交渉、そして三宮駅前で『障害者の声を国会に!』と書かれたビラを配った。さて、話は戻りますが兵庫県障害福祉課との交渉は我々にとって衝撃的だった。支援法案の認定審査会へ障害当事者を入れるべきだが、課長はどうかとの問に「障害者は審査会に来てもらうにも手が掛かるでしょうからね…。」これには僕もさすがにあ然。こんな障害者への知識が低い課長って一体、何? それでも障害者自立支援法に県からも国へ問題点をまとめて要望して欲しいとHIL(兵庫県自立生活センター協議会)全体から要望した。その結果、7月に入り近畿地区からの要望という形で国へ要望書が上がった。みなさん、僕たちの生活を、こんな課長に任せておけません! 今こそみんなの力をもう一度結集するときだ!!!(畑)
利用者料理研修を終えて
去る6月18日、総合福祉センターにて利用者料理研修がありました。メインストリーム協会では、ただアテンダントに献立を見せ、料理をしてもらうのではなく、利用者がアテンダントに指示を出し、自分の好みの食材を買い、その食材を好みの大きさに切り、好みの調理方法で調理し、好みの味付けをすることこそが主体的な自立生活を送る上で必要な要素だと考えてます。でもこれが意外と難しいことで利用者研修課では2ヶ月に1回の割合で主婦のアテンダントの方に講師をお願いし、利用者料理研修を開いていますので、利用者のみなさん、この機会を積極的に活用して、アテンダントを使いこなす料理の達人になってみませんか。今回は私(曲)が、こんな暑い夏の日でも食欲を誘うような中華メニューを考え、5月からメインのILルームで自立生活を送られている足立さんに、冷やし中華を作って貰い、私は中華風エビチリを作りました。今回は、感想を足立さんに書いて頂きました。
近々、ILルームから出て本格的に自立生活を始める、足立です。
今回私は、冷やし中華を作りました。レシピを見ながらアテンダントさんに指示を出すのが一番難しかったです。またキュウリなどの食材をどれくらい切ればいいのかわかりらず、キュウリ盛り盛りになったらどうしようと思いましたが、たまたま今回は適量で「ほっ」としました。料理は教えてもらわないと難しいので、もっとこういう機会に参加しようと思いました。それと参加者がもっと沢山いれば楽しくなるのにと思いました。
行ってきました!! 愛・地球博
7月12〜13日の一泊二日で利用者スキルアップの一環で、総勢アテさんたちも入れ32名で行ってきました。(障害者自立支援法の可決と重なり急遽東京に座り込みに勇敢にも行く方たちは残念でした。)
一日目はゆったりと昼出発で14:30に名古屋駅に集合。やはり名古屋と言えば味噌カツ!ということで食べに行きました。めちゃめちゃ美味かった。それから名古屋駅に新しくできた駅ビルの展望台に上ったり、セントレア空港を見に行く人などもいて、それぞれ観光を楽しみました。夕食?はビヤガーデン!途中雨が降りつつも、ビールをたらふく飲んじゃいました。夜は地下鉄に乗って万博会場近くの名古屋サンプラザホテルまで移動。明日に備えて眠りについたのでした。
そしていよいよ翌日、万博会場までは「リニモ」というリニアモーターカーに乗って行くのですが、リニアモーターカーはタイヤがなくて磁石の原理で動いてるんです。だから動き始めたらレールから8ミリほど浮くんですって。振動もあまりなくて快適。未来の乗り物という感じでした。(ちなみに畑くんは「リニモ」って、リニアモーターカーやったんか!と、普通の電車だと思ってたみたい! まあ、いっつも揺れてるからね・・・。)
さあ、そしていよいよ万博会場!なぜか夏休みもまだだし、平日なのにすごい人!「なんで!」おまけに快晴ですごい暑さ。入場ゲートの時点ですごい列!でも私たち車椅子組は優先的に別の入り口から入れてもらいました。本当はみんなで交流が目的だったのですが、それぞれ見たいものも違うので結局ばらばらに。
愛知万博の目玉といえば、冷凍マンモスとサツキとメイの家だったのですが、サツキとメイの家は事前に予約しないと行けず、他にもトヨタや日立など企業パビリオンもあるのですが、それも予約が必要で、しかも150分待ちで、ほとんどの人があきらめてました。私個人は暑さのため途中で倒れ、休憩所で休んでました。それでも冷凍マンモスは見ることができました。冷凍マンモスは、体全体が展示してあると思っていたのですが、なんと、頭と足のみでちょっと笑ってしまいました。しかも、展示ブースの前が動く歩道になっていて、あっという間に流れていってしまうので、「あ〜毛も生えてるよ」とか言ってるうちに終わってしまいました。残念だったのが、キッコロとモリゾーに会いたかったです。どこにいたのかな。
良かったのが、グローバルハウスというパビリオン。縦10m、横50mの巨大スクリーンに、グランドキャニオンの谷間やアラスカの氷河の間をヘリで撮影した映像が映し出され、音楽と、とてもマッチしていて感動的でした。最初にソニーが開発したロボットのQLIOくんが3人でてきて挨拶をしてくれるのですが、とてもかわいくて、ちょっとほしくなりました。その後はアジア各国のパビリオンを見て回りました。遊牧民の住むゲルや各国の民族衣装や工芸品などが展示してありました。普段見る機会がない、ゲルなどは特に興味深かったです。そこで私は、キルギスタンという国のお土産屋さんで部屋履きを購入。フェルト素材で冬に履こうかなと思っていたのですが、意外と涼しく、今毎日愛用しています。
私は途中で倒れたりしてたので、それぐらいでもう夕方に。しかしお土産だけはと、急いでお土産屋さんに走りました。お土産屋さんも人人人で、小さい私は商品がなかなか見えず、大変困りましたが人をかき分け、なんとかお土産をゲット。キッコロ・モリゾーグッズをいっぱい購入しました。またレジでも車椅子の人優先でしてもらえたので助かりました。最後にみんなで集合したかったのですが、あまりの広さのために流れ解散となりました。他の人は、もっといろんなパビリオンを見ているかもしれないので、万博に行った人に聞いてみて下さいね。中国館のお姉さんが、すっごい綺麗って誰かが言ってましたよ!バリアフリー見地から見ると、会場全体的に高低差があり、何度もエレベーターに乗り換えねばならず、ちょっとめんどくさかったかな。というわけで、楽しい愛知万博の一日だったのでした。ちゃんちゃん。(神山)
くりちゃん! りんちゃん! これからだ!
覚えてます?今年の2月から4月に、メインストリームに日本の自立生活センターや障害者運動を学びに来てた2名の研修生を。全体的にクリッとした「クリちゃん」(ネパール)。小さくて可愛い「リンちゃん」(台湾)。2人はダスキンの財団法人・広げよう愛の輪運動基金が行っている「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」の6期生(7名)で、この6月30日、日本での10ヶ月の研修を終え、7月初めに関西空港からそれぞれの国へ帰国しました。今回は「クリちゃん・リンちゃん」のメインストリームでの様子などを報告します。
クリちゃんは「ネパール初となる障害者自立生活センターをどうしても作りたい!」でも問題が沢山あります。ネパールは車イスも少なく障害者は外に出れない為、障害者同士が話し合う所もないですから「自分の権利・自立生活」の意味も知りません。ネパールの国もお金ないですから、ネパールの首都・カトマンズで自立生活センターを作りたいです。(私の働く障害者団体のある町ではなく)その為にまず、障害者のセミナーを開いてカトマンズで一緒に手伝ってくれる仲間づくりから始めたいです。みなさんサポートして下さい。
リンちゃんは「台湾で自立生活センターを作りたい!」でも自信がなくて。台湾は家族の絆がとても強くて、他人の介助を必要とする障害者の自立生活をどこまで理解してくれるかが心配。まずは私自身が自立しなくてはと思います。あとは台湾の障害者に、日本のことを話すより、「台湾の障害者を日本に連れてこようと思ってます!」連れて来た時は、みなさんよろしくお願いしますね!
主に2人の研修を担当した廉田代表は「2人は元気過ぎて、こっちが倒れそうでした!」。研修も受身的でなく、どんどん質問が出て、どんどん議論が展開するから、なんぼ時間あっても足らんねん。夕方に始まった研修は深夜に終わり、昼間は昼間であっちこっち出歩いてたし、「いつ寝てるねん?」て思ってました。研修以外でも、みんなで広島・平和記念公園&宮島、USJ、京都、福祉機器展、買い物、祭、温泉に結婚式、修学旅行形式で伊勢にも行ったしね。盛り上げに参加してくれた方々、本当に喜んでましたよ!ありがとうございます。メインストリーム協会も数年前から、韓国、パキスタンの自立生活センターを支援していますが、ネパール、台湾も応援したいと考えています。あと、ココだけの話ですよ、もう本人帰国したから話しますけどね、クリちゃんは宗教的に食べたらアカン「牛肉」、お〜いしい!言うてました。「お酒」もね宗教的に飲んだらアカンのに「酒癖」悪いんですよ!
また、今後も海外からの研修生を受け入れて行きたいと考えてますので、その時はよろしくお願いします。
また、この事業のお母さん的存在、日本障害者リハビリテーション協会の奥平さんも言ってましたが「日本は彼ら研修生(障害者)にとって夢の国、帰国後、彼らを待っているのは自分の国の現実。これからが本当の頑張り時!」日本など参考にならないほど違う次元の問題(貧困や戦争等)がゴロゴロあるのに、障害者の権利を守る為、障害者自立生活センターを作ろうとする彼らの本気さに出会えて本当にうれしかったです。僕たちメインストリーム協会スタッフも彼らに負けないよう「え〜仕事」しなあかん。て本気で思い直しました。(ちゅうげん)
つぼみの「まっきー!」B
自立生活の花が咲き! あとは恋の花を咲かすのみ!
僕ね、毎年この時期になると行く所があるんです。「花火大会」。今まで神戸、宝塚、淀川へ行ったんですが、今年は八月六日にアクセス的に行きやすい淀川へ花火を見にいきました。大変多くの人をかきわけかきわけ、やっとたどり着いたのですが、極彩色の大輪にはいつも魅了されます。あの「ドッカ〜ン!」と大きく咲いては消えていく花火を見上げてると、自立生活を初めて四年、昔のこともまるで今日のように思い出しました。
僕の自立は人の応援なしでは語れません。まだ施設にいた頃「花火、綺麗やから一緒に行こうよ!外に出ようよ!」と誘ってくれた太田君に塚本さん、外にでる喜びを最初に教えてくれた川井田君、青木君、ILPに付き合ってくれた龍司君、家探しに付き合ってくれた窪井君、首のマッサージが得意だった武元さん、自立してから長い付き合いの長山さん、仕事の手際のいい拓人君、三年ぶりに僕のアテに復帰してくれた山本君。次々に打ち上げられる花火にみんなが重なり、すごい感動しちゃいました。みんな、みんなありがとう。
人の中で生き、人と語り合えることを嬉しく思います。これからもどうかよろしく。
あ、でも来年の花火大会は、花火のように激しくも心のキレイな恋人と行っきたいな〜(牧井)