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メインストリーム通信58号

祐樹 FOR EVER

 最初に皆さんにお詫びします。本来ならこの場で障害者自立支援法関係のことを書く予定でしたが、どうしても皆さんに伝えたいことがあります。それは22歳の若さで急逝しました僕(藤原勝也)の弟である藤原祐樹についてです。大変つらい思いをさせてしまう方がいるかもしれませんが、ご了承ください。

 もうご存知の方ばかりかもしれませんが、2月2日の朝に22歳という若さで息を引き取りました。前日の晩に呼吸不全、及び心停止に陥り、緊急入院しました。懸命の治療を受け、奇跡的に心臓は再び動き出しましたが、血圧は弱々しく、一晩を越すのがやっとでした。本人も生きようと必死に頑張り、両親をはじめ皆で懸命に励ましましたが、残念ながら力尽きてしまいました。祐樹の無念さを思うと、いてもたってもいられなくなります。

 あまりに急な出来事であったため実感がわかないというのが僕の今の気持ちです。障害の状態では兄である僕の方が進行しており、両親も弟も僕の体を一番心配していました。(この2ヶ月間で肺炎に2回もかかってしまいましたし。)それに弟は人工呼吸器も直ぐにつけなければならない状態ではありませんでしたし、確かに体調が優れず、不安定な日が続いていましたが、まさか生命にかかわる事態になるとは考えられませんでした。急変する3日前(意識のある弟に会った最後の日)に会った時もしんどそうでしたが、本人が気にしすぎているぐらいにしか思っていませんでした。もっと、弟の話を良く聞き、注意深く関心を払ってやるべきだったと悔やんでも悔やみきれません。一番わかってやれる存在だと思っていましたが、最後に何もしてやれなかったのではないかと思ってしまいます。両親への連絡も急変する当日になってしまいました。僕の心の中には、弟と両親へのすまなかったという思いがあります。

 後悔ばかりしても暗くなってしまいます。弟の人生について書きたいと思います。1983年2月6日に兵庫県氷上郡で生まれました。僕が6歳の時に筋ジスと診断され、4歳の弟も同じであると分かりました。それ以後、一月に一回病院に通い始めました。特にあまり進行していなかった弟はリハビリをずっと続けました。幼い頃に一人で入院もありました。そんな中でも弱音を吐かず、いつもニコニコしている我慢強い奴でした。泣き虫だった僕とは大違いです。

 兄弟共に障害が重度化するのに伴い、学校と家の往復になってしまい、一番の話し相手が僕ということになっていました。仲の良いのは良いことですが、同じような思考になりがちでした。本当は兄弟といってもそれぞれの人生があるわけで、僕らの場合はそれを実感できたのは自立生活をしてからです。どこか弟は僕の後付きのような人生でしたが、自立生活によって自分は自分なんだということを見つけていったような気がします。大学での友達やゼミ仲間、アテンダントとかとの人間関係が弟を強くしていきました。本当に良い兄弟になれたのではないでしょうか。

 そして弟は、ひとつの夢を持ちました。もともとドラマ好きでしたが、脚本に興味を持つようになりました。脚本家を目指していました。最初僕は「何夢みたいなこと言ってるんやろう」と思いましたが、本気でした。大学卒業後シナリオの講座を受けに行き初級コースの後、更に上級コースに進んでいました。まだ勉強中といった段階ですが、課題にあわせて創作に励んでいました。段々、上手くなってきていたのではないでしょうか。一握りの人間しかなれず、しかも芽が出るまで時間のかかる世界の入り口に立ったばかりでした。将来的にどうなったかは分かりませんが、志半ばで創作を終えることになりました。しかし、まだどこかで脚本を書き続けているような気がします。本当に好きなことに打ち込んでいた弟は幸せだったのかもしれません。お別れ会や告別式に数多くの人が、駆けつけて下さったのも祐樹の人柄からでしょう。本当にたくさんの人との関わりの中で生きてきたんだなと改めて実感しました。祐樹は幸せ者です。

弟の死を受けて、僕なりに思うことがありまして、皆さんに伝えたいと思います。考えてみると、僕自身、緊急時にアテンダントにどう対応してもらうか十分に考えていなかったなと思います。風邪を引いて息苦しい時とかに口で伝えることがあっても形としては何も作っていませんでした。全ての事態に対応できるわけではありませんが、予想されることは全て紙に書き起こしておく必要があると痛感しました。自分の体には細心の注意を払っておくべきです。アテンダントに対して一番責任のあるのは僕なのだから、常日頃からどんな場合でも対応してもらえるように心掛けようと思います。ちょっとでも、アテンダントが戸惑うことが無いようにしたいです。いつ何があるかは分かりません。また今までの人生の中で一番つらいことを経験し、時には苦しくなります。しかし、今僕ができることは弟の分も長生きをして、人生を楽しんでいくことだと思います。最後に、祐樹を支えてくださった皆さん本当にお世話になりました。祐樹に代わって感謝します。特にアテンダントの皆様、最後の最後まで全力で祐樹を支えてくださり、お疲れ様でした。祐樹はもうこの世にはいません。しかし、僕たちのこころの中では、生き続けています。祐樹よ、永遠に・・・。(かつや)



アテンダント定期研修会の報告

 皆さん日頃のアテンダント活動本当にありがとうございます。まだまだ寒い日は続きますが、風邪には十分気を付けてがんばって下さい。
 さて、今年度のアテンダント定期研修会も5回を終えました。多分この通信が皆さんのお手元に届く頃には、6回も終わっていることでしょう。

<トランスファー、トイレ介助、おむつ交換>
 今回のアテンダント定期研修会は演習でした。普段、利用者とアテンダントが一対一で、介助を行っている中、どのように介助をしているのかを見ることができたのではないかと思います。
 今回は昨年度より少し工夫をしました。今年度のアテンダント定期研修会には、利用者の参加がかなり増えました。今回も講師に8名もの利用者が参加してくれました。今回の演習は利用者別の演習です。いつも行っている利用者ではなく、行ったことがない、または行ったことが少ない利用者のグループに入って実際に、トランスファー、トイレ介助の方法を行いました。特に男性は色々なトイレ介助の方法、おむつ交換を見る事ができ、今後に役立てることができたのではないかと思います。女性の方でも、トイレ介助の方法を確認し、注意すべき所、利用者が指示の出しにくい所なども確認できたと思います。

<スタッフから>
 やはり、利用者が研修を行うことはとても重要な事だと再確認できた研修だったと思います。今後も利用者の皆さんご協力お願いします。
 アテンダントの皆さんいつも感想ありがとうございます。今後も研修の工夫を色々やっていきたいと考えていますので、皆さんのご意見、ご感想楽しみにしております。よろしくお願いします。

<注意点>
 繰り返し何度もお伝えしていますが、アテンダントの定期研修会は必須参加です。年度に6回の研修を行い、2回が必須参加となります。(年度に入ってからアテンダント活動を始めた人は1回が必須、1月以降に登録された方は参加義務はありません。)参加されなかった方は、次年度からのアテンダント活動を行うことが出来ませんので、注意して下さい。(松島)


太田シンガポール航空搭乗拒否事件裁判がホームページに!

 年明け早々の寒い中、7,8日といつも通りに有志が集まって「太田SQ(シンガポール航空)裁判」費用の募金活動をJR元町でしていました。その時に配っていたビラを見た人から、メインストリーム協会に取材依頼のFaxが届きました。昨年の6月に設立した団体で、バリアフリーや障害者に関わる生活情報を集め、提供しているサイトの運営者の方からでした。「太田SQ搭乗拒否裁判」に関心を持たれ、是非ともホームページで特集を組み紹介したいと、ありがたく言っていただいたので、メインストリーム協会へ神戸から足を運んで来て下さりました。日頃の生活そして時間の流れで、あの時の記憶というものが薄れつつある中においても、やはり改めて取材を受けていると、よみがえってくるものですね…怒りっていう記憶が!気がつくと、僕は一時間以上も話し続けていたようで、「今日はこの辺で…ありがとうございました!」とブレーキをかけられたほどでした。よく的が絞られた記事としてホームページに掲載されていますので、ぜひパソコンからアクセスができる人は、このホームページのリンク集から行けますので、ぜひ観て下さい。また知り合いの人にもバリアフリーとかに興味がある人がいましたら「太田SQ裁判」以外にもたくさんの情報が載っていますよ!



ATTENDANT LINE!


 メインストリーム協会には個性豊かなアテンダントがもりんもりん! そんなアテンダントさんたちを紹介する「ATTENDANT LINE!」今回はアテンダント歴10年、阪急西宮北口駅近くにあるチャリティーショップ・くるりん代表の坂口さんです。Have a nice ATTENDANT!

「アテ歴10年」

 アテンダントを始めるまで障害者は全員、知的障害者だと思ってました。だって、親も学校も教えてくれなかったから。しかも障害者が地域で一人暮ししてるなんて意味がわからなかったし。私の中にあった常識が崩れ、知らなかった障害者の生活に関わる事にドキドキし嬉しかった。

 アテンダントを始めたきっかけは、ボランティアセンターからの派遣でスタッフの下地さんの家に行ったこと。始めた頃は、時間は守らないし、疑問があっても口に出来なくて勝手に悶々としてたりと、今思えばとんでもないアテンダントだったかも。
 一時は週に10件の利用者さんの家を回ったりしたけど、今は他に仕事を持ってるので週に一回ほどかな。そうしてるうちに、なんだか障害者のことを分かったような気になっいたんですね。(多分、障害者に関わらずに生活している多くの人よりは知ってるんだけど。)でも、本当は身体障害者の自立生活運動を少しかじっただけだったと気づいたのは、2年前に始まったメインストリームの手話サークルに参加して、聴覚障害者の原淵さんと関わるようになってから。

 聴覚障害者といっても、ろうあ・難聴・中途失聴と様々で、抱える問題も多種多様。その中でも、生まれながら、幼少期からの聴覚障害者は聞こえないだけじゃなくて、健聴者とは違うコミュニケーション文化を持っていて、日常会話なら問題無くても、少し込み入った話をしたい時、私が自分の知っている言語で伝えようとしても伝わらないことがある。自分のボキャブラリーの少なさに悔しくなった。その時に、相手のコミュニケーション文化に入ってこそ、一緒に何か出来るんだって当たり前の事に気づいて感動した。

 例えば、知的障害と重度の身体障害を重複している人に「お昼何が食べたいですか?」と聞きたい時、その人になんて伝えれば、答えが分かるだろうかと考えます。もし少しの言語が理解でき、手を上げたり下げたりの返答をする人なら、時計を指差して、ご飯の話だと伝え、いろんなメニューの絵などで提案し、手の上げ下げを見て判断することになるでしょう。そのように、その人のコミュニケーション文化に入ってこそ、お昼ご飯を何にするかと一緒に考えることがやっと出来るということ。原淵さんには手話を通して、ただ聞くだけじゃなくて本当に耳を傾けるということ、それぞれのコミュニケーション文化を尊重することの大切さを教えてもらいました。

 アテ歴10年。まだまだです。世の中にはいろんな人がいる、アテンダントをするようになって、人との出会いの幅が広がり豊かになったような気がします。自分が当たり前だと思っていたことが、とても小さな枠の中でしかなかった事を知りました。アテンダントを続けてきて良かった。
☆おまけ☆ 私の職場くるりんのHP。見てね♪http://www.kururin.org



第2期手話勉強会16名でハリキッテます!!

 「メインストリーム協会でごく普通に手話で話したい!」を目的に週1回ペースで楽しく手話勉強会をやってます。メンバーから参加した理由を聞いてみました。その中から印象的なのを・・・

介助スタッフ/山崎さん
★昔、講師である原淵さんとケンカした時「絶対やろう」と思ってました。言葉では聞かなくても(聞こえなくても)、今度は手話で言いまかします。

スタッフ/井内さん
★原淵さん春山さんと仕事を一緒する機会あり楽しく覚えられたらと思い参加しました。

アテンダント/あべさん
★興味はあったのですがどこで習ったらいいのかわかりませんでした。他のアテさんとも交流もあって楽しいです!

アテンダント/浮島さん
★娘も参加し、上達したら手話で親子ゲンカですかね!

アテンダント/六車さん
★他のアテさんやスタッフの方と、しかもタダで学べるのがとても嬉しいです!

アテンダント/樫原さん
★今まで家業の商売という狭い世界で仕事をしてきたのでメインで出会いは私にとって宝物。手話を通じて世界が広がると嬉しいです!

スタッフ/中来田くん ★指先が器用だから!



いい本ありますよ!

 アテンダント定期研修会で行った「医療行為」でいい資料がないか探していたところ、いい本みつけました。「写真でわかる基礎看護技術@」大ベストセラーで看護学生さん用の定価2500円もする専門書なんだけど、アテンダントさんもやっている、経管栄養法、グリセリン浣腸法、摘便、導尿、口鼻腔吸引の仕方が写真で詳しく解説してくれています。アテンダント部門・研修課にあるので参考してくれれば、と思います。                  


台湾行ってきました!

 2月7日〜10日で、台湾の台北にいるリンちゃんに廉田、沖田の3人で会いに行ってきました。リンちゃんは去年のダスキンの研修生で約3ヶ月間メインストリームの2階に住みながら自立の勉強していた研修生です。その間いろいろなところに遊びに行ったり、遅くまで話したり、何にでもすごく興味を持ってくれてとても仲良くなった友達です。今回リンちゃんのいる台湾に行った目的は、リンちゃんが企画し申請していた台湾の障害者が自立の勉強、体験ができる「自立生活プログラム(セミナー)」に助成金がおり、そのセミナーの準備をするサポートをしてきました。

 初日、台北に着いてからホテルを探しに行ったのですが、安いところはラブホテル。今時、回転ベッドの部屋もありました。バリアフリーでなかったので断念。

 そこそこ広い部屋のホテルを見つけ、さらに広くする為ビフォーアフター!話せる環境はできました。
 まず台北では、軽度の障害者はバイクに乗っているのを見かけましたが、車イスに乗り介助を使って外出しているのはたまに見かけるぐらいで、老人の人ばかりでした。地下鉄とモノレールが台北では主流の移動手段で、完璧と言えるほどバリアフリーでした。しかし町中の歩道はがたがた。ほぼ車道での移動となります。しかも台湾は車優先の国。ラッシュ時はバイクも多く移動がけっこう危険でした。

 障害者の介助制度はなく家族が介助をし、「自立」という目的になりにくい環境を変えるべく、リンちゃんはセミナーを開き「自立生活プログラム」で自立の理念を知ってもらい、自立の楽しさを台湾に住む障害者に伝えていこうとしています。社会を変えるスタートです。メインストリーム協会もセミナーで集まった仲間で立ち上げた団体です。

 2日目、プログラムの話をホテルに監禁状態で一日話しました。途中リンちゃんの友達が話を聞きたいということで参加。初めは聞いていたが途中から「台湾での自立は難しい」という話でプログラムから話はずれる。リンちゃんも一生懸命伝えようとしていたので、今後リンちゃんの仲間になるのかな。廉田がしっかり理念を伝えました。「台湾での自立は、時間はかかるが始めなければ何も変わらない!」友達は納得していました。そのとおりである!不安、心配いろいろあるが行動しないと何も変わらない。しかしホテルは暖房が効かず肌寒くて、中国語での会話が長い度、3人とも睡魔と戦う一日でした。

 3日目、今回リンちゃんがこのセミナーの助成金申請をするために団体名をかりた「骨形協会」の代表のキャンディーさんにセミナーの話しをする為、会いに行きました。あともう一人リンちゃんが会って欲しいという骨形の友達がいたのですが、介助がいるということで私とリンちゃんで骨形協会に行く前に寄ることになりました。彼はリンちゃんと電話やメールで自立の話しをしている為、すごい自立に対して興味を持っていますが、家が4階(もちろん階段)で親と外出したのも数回。今では親が腰を痛めてしまい25年間ほとんど外出していません。彼は自立の話しも親には日頃から話しているのだが、なかなかわかってもらえない。そんな中、今回親以外の介助使っての外出は、もちろん初めてでリンちゃんと私で家に入り、一緒に話すことになりました。リンちゃんを抱え4階に着くなりハーハー言っている私にお父さんは、タバコをどんどん進めてきました。お父さんなりに気を使ってくれていたのだと思います。親はすごく心配していました。ものすごく不安になっていました。それもそうですよね。介助制度のない国で、親以外と外に出たこともないのに、いきなり来た外国人に介助をお願いするわけで・・それは不安だわ。私は、お父さんに腰の負担にならないような介助方法を伝え、知っている限りの中国語で「メイウェンティー!」(大丈夫!)と連呼しました。言ってみるもので伝わりましたね。外出できることになったのだが、親は予定をキャンセルして一緒に付いて来る事になりました。

 これが台湾の今の現状だと思います。家の中でも彼は意思が通りにくいと言っていました。同じ立場で話しができない。彼は自立の理念をよく知っていて、そのすばらしさを親に伝えていっているので外出もできたのだと思う。彼はその日初めて1人で外出し、友達との会話を楽しんでいました。

 今回リンちゃんが企画しているセミナーで、台湾で暮らしている障害者が彼のような意識になっていくのだと思うとわくわくします。時間はかかると思います。昔の日本のように親が外に出さないという現状もあります。だからこそ意識を変えていく運動をする。家の中での地位が低くかろうが、その思いを親に伝えていく。理念を伝え社会を変えていく。それが障害者自立生活センターの役割だと思います。セミナーを通じ同じ理念を持つ仲間と出会い、リンちゃんは台湾で、障害者自立生活センターを立ち上げていくのだと思います。私達メインストリーム協会は今後も応援していきたいと思います!

PS・お父さんからもらったタバコの本数10本以上!目があったら勧めてくれるのだが、そんなに一気に吸えないよお父さん。リンちゃん横目で困ってる私の顔を見て、大笑いしていました。(まもる)



つぼみの「まっきー!」C
自立生活の花が咲き! あとは恋の花を咲かすのみ!

 めいんすとりいむ通信に「つぼみのマッキー」を載せてもろうて何回目になるんやろ。う〜ん、4回目か〜。気長につきおうてくれて、みんな、ありがと。さぁ、今日もひたすら書くべし、書くべ〜し!

 ミラージュ作業所に招かれて三年ぐらい経つかな。通うてんのは週に三回やけど、ピア・サポート部門のお手伝いもさせてもらえるようになってな。今回はそれにまつわる話もええかな思うて、キーを叩くことにしたんやわ。よかったらつきおうたってんか。

 六月ごろからやったかな。チコちゃん(井内さん)やら太田君なんかのリードのもと、施設訪問ってやつ始めてん。入所施設ヘじかに足を運んで利用者と話ィすんねんけどな。生活の様子とか趣味とかから始まって、みんなが日頃どんな思いで暮らしてんのかってとこらへんに至るまで、じっくり耳を傾けてみよかっていう試みやねん。一人一人の思いやペースを分かち合うて、そうするうちに自立の糸口に気付いていってくれたらどんだけええかしれへん。人って認められ励まされたら変わっていける。人間の内に秘めた力を信じてみたいんや。地域生活ができるレベルにまでもっていけたら最高やなって思いながら、月に一回、みんなに会いに行ってるていうわけ。

 で、訪問することになったんが、たまたま僕の出身施設やったからビックリ! 京都の養護学校を卒業してからの22年あまりは長かったなぁ。ほんでかなぁ。知らん間に、人に管理されんと安心できんような頭になっとったみたい。なんかっちゅうたらADL(日常生活動作)能力ばっかりが問題にされてきたし、人の手を借りた社会生活のおもろさについては誰にも教われんかった。悶々とした気持ちのまま成長するってどんな感じかわかる? メインと知り合うてへんかったら僕は今ごろ…考えただけでもゾッとする。せやから、あえて一人になることの尊さを伝えたいねん。

 いま担うてる役割がどこまで果たせるんかわからんけど、信じて疑わんもんはちゃあんとあんねん。それは、僕ら障害者は決してひ弱な存在やないってことやねん。自己決定のもと「手を貸してほしい!」って言えたら人としてはそれで充分なんやし、制度面で虐げられようもんなら行政に向こうて声を上げるんがいわば僕らの本分やんか。それには極端に狭い環境やら価値観なんかは自立生活への妨げになるだけ。ともかくも、施設のみんなには今の境遇を疑う勇気を持ってほしいんや。いっしょに強うなろうで!施設を出た今の自分の心境か? 絶好調に決まってるやん。井内さんや太田君なんかと働けることも楽しゅうてしゃあないしな。スタッフや利用者なんかの理解とか励ましかて嬉しいし、事実上の行動ではアテさんのバックアップが欠かされへん。そう考えたら、僕もまた決して孤独やないねんなぁって痛感すんねやんかあ。施設に泣く人がひとりでも減るように、みんな、これからもどうかヨロシク! おっと、僕の恋の花も咲くようにヨ・ロ・シ・ク!(牧井)



編集後記
 僕、毎回通信編集してますが今回ほど熱くなったのははじめてかな〜。まもるちゃんの台湾物語も本気で応援したくなったし、祐樹君も・・・。な〜んかホンマに人生、楽しまなってね。あっ、新コーナーの「ATTENDANT LINE!」次誰に書いてもらおっか?!書きたいアテンダントさんいませんか?事務局まで連絡下さいね。(ちゅうげん)