★ The reasons of becoming staff ★
 
 
 
スタッフ マモルくんの理由・・・

私、マモルが、メインストリーム協会を知ったのは、ほんとたまたまです。
たまたまから始まった、スタッフまでを話したいと思います。

デザインの専門学校を3年出た私は、パートとして小さなデザイン事務所で働いていました。
思っていたほどやりがいもなくすぐ辞めて、フラフラ2年を過ごしていました。

そんなある夏、私の周りで福祉関係の仕事をしている人が多く、
色々話しを聞いていると、おもしろそうだと思い、「福祉(老人)の道に進もう!」と決めました。

そんな私を応援しているかのように、就職雑誌の表紙には、

「今の福祉は【男性】が必要!」というタイトル!

「これは波に乗ってる!」

と盛り上がり早速就職活動へ。

結果は全部×。

資格の無かった私はヘルパー2級を取得し、いざ就職活動へ!

しかし、結果は全滅。

あげくの果てに、面接官から「男性は使えないんだよ〜」の一言。
なんだそれ!
お金が無くなった私はバイトに専念しました。

そんな時でした。

まだ学生だった友達から1枚のチラシをもらいました。
メインストリーム協会のチラシです。学校周りで話しを聞いてもらってきたみたいです。

そのチラシには、運動団体・・・「障害を持っている人の介助(サポート)の仕事です。」
始め宗教のたぐいか?と思いましたが、
就職活動が失敗続きだった私は「とにかく面接!」と考え面接に行きました。

事務所らしきところに着くと早速3階に。

面接官はなんと障害者!
23年間障害者と話した事の無かった私は、めちゃ緊張。
面接が終わり分けわからんまま、面接官の家へ。

 面接官 : 俺ここで一人暮らししてんねん・・・
 マモル : すげ〜〜〜!!

障害者は
 ★かわいそう
 ★何もできない
というイメージしかなかった私に衝撃が走りました。

自分らしい、あたりまえの生活をする。施設生活でのおもしろくない話し、遊びの話し・・・
アテンダント(介助)活動、遊びを通して色々なことを経験しました。
それが下地さんとの出会いです。
この人おもしろすぎ!今までの障害者観が、180度ひっくり返されました。

「おれここで、働きたぁ〜!」と思い、
事務所に毎日通うこと半年、介助スタッフに。
それから1年でスタッフにさせてもらいました。

メインストリームに入って6年目ぐらいですが、気持ちは20年ぐらいいる気持ちです。
仕事という感覚はなく、家族と一緒に楽しくやってる感じです。

スタッフになった理由は、楽しいからです。人との出会いがあるから。

こんなおれでも障害者観は変わったし、
みんな知らんだけなので色んな人に伝えていきたいと思ったからです。

人との繋がりは、おもしろいね〜。これからも楽しくやっていきます。
西宮に来たら、ぜひ事務所に!一人暮らし始めた、私の家に!遊びに来て下さい。
 
介助スタッフ むらたくんの理由・・・

大学を辞めた当時の僕は、生活費を稼ぐため、アルバイトに明け暮れていました。

その時にしていた報道カメラマンのアシスタントの仕事は、華がある仕事でしたが、
いままで経験したどんなアルバイト・郵便局の配達員、引越屋、焼き鳥屋、
スポーツクラブでのインストラクター、スナックの皿洗いよりもつらい仕事でした。

そのつらさからか、報道カメラマンのアシスタントの仕事は
アルバイトの移り変わりは早く、半年も続けばベテラン扱いに。

そんな中で「自分もいつかは報道カメラマンに!」

という甘い期待を抱きながら、1年という年月が経ちました。
厳しさの中にも楽しさがあるその仕事は、とても魅力のある仕事だったのですが、
ただひとつだけ不安が残りました。

それは「この仕事のことが好きで、自信を持って続けていけるか?」ということでした。

そんな葛藤のなかで出会ったのがアテンダントの仕事でした。

僕はすぐにアテンダントの仕事にのめり込み、
この仕事のことを好きになり、自信を持って続けて・・・いや、違います。

本当のところは「報道カメラマンは割に合わん!」というのが正直な気持ちでした。

かくしてアテンダントをすることになった僕は、給料の面や
自分の生活スタイルに合わせて働くことのできる環境などの理由から、
文字通りアテンダントの仕事にのめり込んでゆくのです。

それからどれくらいの月日が経ったでしょうか。
僕と、ぼくの周りの環境も大きく変わりました。

僕は結婚し、子供も授かりました。
アテンダントの仕事も楽しい。
このまますべてが順調にいく。そう思っていたとき、運命を変える出来事が起きました。

「今度、障害者介助部門のリーダーとして働いてみないか?」

と言ってもこれはメインストリームの話ではありません。
ある事業所が新たに障害者の介助派遣を始めるため、
その部門のリーダーとして働いて欲しいというお誘い、

まさにヘッドハンティング!でした。

「野心」という言葉は僕の心から離れず、目を背けることができませんでした。

結局、迷いに迷ったあげく、
当時あまり話したことのなかったメインストリームの代表である廉田さんに相談することにしました。

廉田さんは一言。

「うちのほうがおもろいやろ。」

この自信に満ちた言葉を聞いた時、愕然としました。

こんなにもそばに自分の仕事が好きで、
自信を持って続けていこうとしている人がいる。

そしてこんな人と一緒に仕事ができたら、
きっとこの仕事のことを好きになれると思いました。

もう実際に面白いかどうかなどはどうでもよくなっていました。

「自分の仕事が好きで、自信を持って続けていくこと。」

この言葉は僕が仕事をしていく上でのキーワードです。
そしてメインストリームはそれができる場所なんです。

僕は介助スタッフになることに決めました・・・
 
スタッフ まなのくんの理由・・・

知人:「障害者が活動してる所があるよ!」
僕:「ほんま〜」
知人「一回見に行く?」
僕 「ええよ〜」

 まっ、そんな軽い感じでメインストリームに行く事になりました。

メインストリーム協会で、最初にありがたいお話してをして下さったのは下地先生でした。

その話、僕は、正直あまり興味は無く、
知人に誘われたからって感じだったので面接の時のことは余り覚えてません。
今思えば大変申し訳なかったと思います。

 こんな感じでアテンダントを何となく始めてました。
アテンダントといっても週に1回、風呂介助の1.5時間ぐらいで、
メインストリームのやってることにも、
アテンダントにも本当に関心がありませんでした。

「ある程度やって辞めるやろうな〜」と思ってました。

 しかし、たまたま下地先生のアテンダントに入ることになりました。
これが僕を大きく変わるきっかけとなりました。

下地先生は、今までに出会った障害者にはいないタイプで沢山話をしました。
遊びや女の子の話、それにメインストリームの話をしてくれたりしてるうちに、
普通に仲良くなり下地先生と遊ぶようになりました。

何が変わったって、障害者のイメージが変わりました。
障害者でも考える事一緒やん!
面白いこと一緒やん!

「ただ、歩かれへんだけ!」
「ちょっと、腕曲がってるだけ!」
「ハチマキ巻いてるだけ」「よたよた歩くだけ!」

それだけで、そんなに変わらんよって思いだして障害者へのイメージは大きく変わりましたね。

それで面白くなってきてアテンダントにも沢山入り、沢山の障害者と話して遊んで、沢山関わったら、
メインストリームのこともわかってきて、ますます好きになって興味を持ちました。

下地先生とは、ホントに長い時間一緒にいて、
今では、下地先生「こむぎちゃ〜ん」 真名野 「もじおちゃ〜ん」って呼ぶ仲になりました。
ほんで、メインストリームに友達もたくさん出来て、
楽しくやってるときに「介助スタッフ」やれへんと声をかけてもらいました。

最初は、障害者全体の事を考えるなんて思ってなくて、
メインストリームで出来た障害者の友達が生活しにくいのが嫌で、
友達がそれを運動して変えようと思って活動してるから、
それやったら僕も一緒にやりたいと思い、やらせてもらう事にしました。

でも一番はメインストリームが面白いからやね!

なかなか面白くないと僕、なんでも長続きしない性格なんですが、これは「やれる!」って思いました。

今では、考え方も障害者問題全体として考えれるようになりましたが、
最初の友達感覚スタートは今でも残ってるし、大事にしています。
 
介助スタッフ あおちゃんの理由・・・

僕が初めてメインストリーム協会に出会ったのは、高校生の時だった。
高校時代の僕は何かと否定的な人間だった。
学校生活に対してやる気はなく
「どうやって学生というしょうもない時間を消化するか」を考えて過ごしていた。

そんなある日、
英語科の先生が「青木ぃ、こんなんあるけど興味あるかぁ?」と言って渡されたのが、
『障害者甲子園』とかかれたイベントのビラ20枚だった。

障害者にも甲子園にも興味がなかった僕はパスする気満々だったが、
なぜか気がつくとメインストリームに電話してた僕がいた。

『障害者甲子園』はすごかった。

規模や知名度ではもっとすごいイベントは山ほどあると思う。
何がすごいかというと、みんなの「本気」がすごかった。
たった一つのイベントに
本気で怒ったり、泣いたり、笑ったりして、「本気」の力を思い知らされたイベントだった。

その中で僕自身が障害者がどうとか、差別をなんとかしたい!とかいうことよりも、
そこで働いているスタッフの「社会を変える!」てことを本気でやっている、
この人たちの「本気」に触れて、こんなところで俺も本気で働けたらなあと思っていた。

すると半年後、なれた。

すんなり声をかけてもらって、すんなり健常者スタッフとして、
アテンダント兼アテンダントコーディネーターとして働くことができて順風満帆だと思っていた。

だが、甘かった。

日々、アテンダントやコーディネートなどで何かミスをしても、
みんなが最終的にフォローしてくれるので
「そんなに真剣にやらなくても大丈夫」とどこかでたかをくくっていた。

確かになにかとフォローしてくれていたが、そのうちにクビになった。
言われたのは、友達としてはうまくやっていけるけど、
職場の仲間としては信頼して一緒にやっていかれないということ。
まだ10代だった当時はショックだった。

今から思えば、これで良かったのだ。
それは、一度クビになったからこそ、
メインストリームの、あの「本気」を再認識することができたからだ。
でも一度失われた信頼はそんな簡単には戻せません。

3年かかりました。

引越会社、卸売市場、北新地にあるトーク喫茶店でのマネージャーなど、
社会に出ていろいろなことを経験し考えていくうちに、
自分に足りなかったものは「責任感」だと解り、自分自身を見つめ直すことが出来た。

そして僕は、そんな紆余曲折を経て介助スタッフとして戻ることになったのです。

僕が最初に就職していた頃とは規模もメンバーもだいぶ変わってしまっているが、
中身は変わっていないと思っているし信じている。

金を稼ぐだけならもっといい仕事もあるだろう。
楽な仕事も他にたくさんあるだろう。

でも、「本気」と「責任感」を持ってできる仕事は数少ないし、
僕にとってはここがそうなのである。

みなさんも、せっかくやるからには本気で何事もやってみてください。
その方が絶対に楽しいから。

これは人生を楽しむ極意やね。
ただし、この極意は簡単に他言しませぬように。
だって、『出戻りスタッフ』の僕が出戻ってまでしてやっと気づいたことやから。

  
介助スタッフ こたくんの理由・・・

皆さんはこれで人生変わったなぁ、っていう出来事はありますか?
僕が今、ここメインストリームでスタッフをしている理由、
今思えば、あの高校3年生での悪夢?のような出会い、
それが人生の転機であり、メインストリームでスタッフをしている理由でしょう…

そう、当時部活も大学受験も終え、時間をもてあました暇な18歳でした。
そんな時、時々麻雀をしていた友人(中国人)から「無料で全自動卓で麻雀出来るで。」
という誘いがありました。

そんな誘いに怪しむことなくホイホイついて行って、
到着した場所、それが、かの有名な「雀荘モジモジ」でした。
そしてそこにいたのは具志堅似の車イスに乗ったおっさんでした。

そのおっさんはどうやら事故で「ケイソン」というものになったということでした。
何度か、その雀荘モジモジに通ううち、また新しい障害者が登場しました。「ハチマキおやじ」です。

この雀荘モジモジの主人「モジオ」と「ハチマキおやじ」はめっちゃ面白く、
そして底抜けにアホで、そして年の離れた僕と普通の友人として遊んでもらいました。

どうやらこの人たちはメインストリーム協会というところで働いているようでした。
そのうち、誘われるがままメインストリームのイベントに参加するようになっていました。
そこは、CPあり、脊損あり、骨形あり、まさしく身体障害者のオンパレードでした。
メインストリームの人々は、どの人も面白く、イベントに参加することは僕の楽しみになりました。

そうして1年が過ぎ、起こったのが阪神大震災でした。

マッチ箱のような僕の家はきれいに斜めに傾き、バイトしていた焼肉屋はみごとにつぶれました。
僕は家とバイト先を同時に失しない、アテンダントを始めることになりました。
そうして今まで以上にメインストリーム協会の人達と接する機会が増え、さらに仲良くなりました。

しかし、就職活動を始めた時、メインストリームで働くことはほとんど考えませんでした。
メインストリームの人達は友人であり、メインの活動も漠然としか理解しておらず、

僕は普通にサラリーマンになり、普通の人生を送るんだ、と思っていました。

そして、某輸入食品商社に就職した僕の7年間はこのようなものでした。

福岡に転勤(左遷?)された時に福岡一の繁華街、中洲にて…
くたびれたスーツ姿の私と、メインストリームの人達が障害者ボウリング全国大会が福岡であるため集結していました。
 「明日仕事あるから帰りますわ。」
 楽しそうなメインスタッフを尻目にとぼとぼと5.1畳のワンルームマンションに帰ってゆく私…

大阪本社に戻ってきて、すでに介助スタッフだった友人・啓二邸にて…
 啓二 : コタ(僕)、足臭いでぇ。
 僕  : うーん、一日中革靴はいてたからなぁ。といいつつ、会社の愚痴をこぼしながら酒を飲む私…

啓二邸と同じマンションにある雀荘モジモジにて…
 僕   : 残業で今帰ってきたわ。
 モジオ : もう12時まわってるで。そして、生気のない顔で麻雀卓を囲む私…

こうして、某食品輸入会社を離職した僕は、メインストリームの介助スタッフとして働くことになりました。

基本的に僕は保守的な人間だと思うんですけど、
こんな僕がメインストリームと出会って結果として、
今こうしてメインストリームで働いてることって、すごく不思議で、すごく面白いと思っています。

障害者を取り巻く社会環境が前と比べてどれだけ変わってきているか、
ただ社会環境が変わっても全然変わっていない部分が多いことは、
7年間全く違う仕事をしていたからこそわかる部分があると思います。
そういうことを実感として伝えていくことが出来れば、と思っています。

こんな自分が変わったように今の社会も変えていきたい、
そして社会を変えるためにメインストリームの人達と一緒に活動していきたい、
と思ったことが今ここにいる理由の一つですね!

でも、まぁぶっちゃけ言えば、やっぱり働くなら自分に向いていて、
そして楽しく仕事したいからですかね。

メインストリームのやってることって、運動もそれ以外も結構面白いっすよ!

 
スタッフ ぎしこちゃんの理由・・・

十数年前、まだ私が高校生だった頃です。
当時メインストリームが企画していた「障害者甲子園」という
障害を持つ高校生に自立心を持ってもらうという全国大会の実行委員をしてみようと思ったことが、
メインストリームと私の出会いでした。

その大会が意外に盛り上がり、すっぽりツボにハマってしまった私は、
その勢いでアテンダントをすることに。

アテンダントといっても当時は、利用者の家を一度見学しただけで、
研修らしい研修は何もなくアテンダントとして活動してました。
適当と言えば本当に適当でした。

介助をしながら、地域で自立するたくさんの重度障害者に出会いました。
いろんな人がいて、最初はびびってたんですが、よく知ってみると、おもしろい人たちやなあと。
介助したらバイトにもなるし、アテをしながら仲良くなりました。

その調子で大学を卒業して1年ぐらいはアテンダントと視覚障害者のヘルパーを掛け持ちして、
月に200時間近く介助する忙しくも楽しい毎日でした。
その頃が一番気楽で楽しかったです。

また人並みに就職活動もやって、私は保険屋のおばちゃんになる予定でした。
しかし就職活動の途中で気が変わり、
事務所の下地さんがアテの仕事をどんどんくれるので、いつのまにか予定表が埋まってました。

そんな折りにメインストリームで新健常者スタッフ募集の話があり、応募することにしました。

面接の時、佐藤&玉木さんに、
「スタッフとしてどれぐらい続けられるか?」
「給料減ってもやれるか?」
「何かやりたいことあるか?」

そんなことを聞かれました。

気持ちとしては、
 「今(当時)、入ってる利用者さんが死ぬぐらいまではやる。」と言ったら、
 「じゃあ、もうすぐだな。」と佐藤くんに笑われました。

まだまだ、みんな元気やなあ〜。

まあ、適当に答えたのですが、
本当にみんなが死ぬぐらいまでは介助しようと思っていました。

スタッフの仕事というよりは、障害者と一緒に仕事をするのは楽しかったので、
障害者甲子園つながりの友人たちが違う仕事を選んで行く中で、
「自分は介助者としてここにいよう。」と思いました。それが動機です。

実は私、聴覚障害者だったのです!
中学生の頃から薄々ですが自覚はありました。

家では、テレビの音が異常にデカく、
家族との会話も常にデカイ声、なのに会話が噛み合わへん!
学校の友達には、聞こえなくて気付かないだけなのに「無視された!」と言われたりしてました。
でも面白かったのは、私の家族ほぼ全員、聴覚障害者だったということです!

そんなこともあって、
面接の時、「聴覚障害者の問題もやりたい。」と言いました。
とはいっても、ほとんど出来そうな気はゼロでした。

それがいつのまにか自分も正式に障害者になり、
スタッフとして聴覚障害部門を担当するようになりました。
これ、当事では全く想像出来なかったことです。

みなさんに一言、やりたいと思った仕事ができるって、すごくいいことだと思います。

私ののやりたいこととは、
障害のない人と障害を持つ人が一緒に暮らせる社会をつくることです。
それは障害者を分けない社会です。

聴覚障害運動については、
自立生活センターのスタッフとして
聴覚障害者になった責任としてやっていくつもりです。

いつのまにか家族もみんな障害者(難聴・精神)になりましたが、
そういう人生もありかなと思っています。

障害者になることは人生のババをひいたのではなく、勝ち札のような気がしませんか?
障害者になることは人生のババをひいたのではなく、勝ち札のような気がします。
たとえ障害者になったとしても、自分なりの役割を見つけて、
人生を楽しんでいたら「当たり」なんです。

私の場合、重度の障害者たちと出会い、自分も聞こえなくなったことから、
身をもって実感できたのですが、
みんながそういう風に考えられる社会になればいいなと思います。

もしかしたら、メインストリームと出会うために、
私は生まれてきたのかもしれませんね。

自立生活センターの仕事(社会を変えること)のおもしろさを人に伝えながら、
この仕事ができてラッキーというのを忘れないように。
これからもやっていきたいと思います。
よろしく、おねがいします。

 保険屋のおばちゃんになってたら・・・。

  
介助スタッフ キリマくんの理由・・・

僕が介助スタッフになろう思たんは・・・
小学校の時。そう、そこまでさかのぼりますね。
僕、小・中学生の頃、野球小僧やったんです。「将来はプロ野球選手!」ってな感じで。
でも、ず〜っと「ベンチ!」。

高校でも最初、野球部入ろうと意気込んでたんですけどね
「早朝練習」が、ほんまに朝、早かったんで・・・ 「ラグビー部」入ってました!
入部してみて、気が付いたんですけど、
ほんまにタックルって怖いんですよ。「ぅぅうわぁ〜」って。
ほんまに何回、辞めよう思ったか。
でも、その度に、僕の前に出てくる熱い先生がいるんです、青春ドラマみたいに!
その先生の応援があったから、僕、ほんまに3年間、一生懸命、ラグビーしてました。
それだけではありません!
「介護福祉の専門学校」に進みなさい!と僕の進路までも!

はい。

専門学校の面接のとき、「この学校を選んだ理由は?」と聞かれ、
高校の先生に行けと言われ・・・とは言えず、「僕、おじいちゃん子で・・・」
・・・てな訳で平々凡々と介助福祉を学んでた僕に衝撃が!

障害者施設での実習!

僕には介護っていう仕事、「向いてない」ていうのが正直な思いでした。
就職かぁ〜、どうしよっかなぁ〜 
福祉用具会社の営業でもしようと、学校にあった就職情報紙をめくってました。
そんな当たり障りのない就職先を選ぼうとした僕の目に止まったのは!
「在宅」という文字と、「メインストリーム」という怪しい社名だった!

実は僕、面接を受けにメインストリーム協会に来た時、1回前をスルーしたんです。
僕の頭の中は、なんか、でっかい施設的な建物をイメージしてたんですけど、
ふつーの家やってんもん!

その面接の時にね、代表の廉田さんがパチンコのハンドル握るのも介助の一つって。
僕ね、その言葉聞いたときに、今まで学校で勉強していた

 ★室内と室外の気温の差
 ★ご飯の主菜や副菜
 ★風呂の湯の最適温度

などの知識は吹っ飛び、介助する側に主体性があるのではなく、
介助を受ける側に主体性があるってことを全身で感じることができました。

今では、この仕事を天職だと実感し、これから介助っていうイメージを、
みんなが憧れる職業に変えていきたいです。

なので、僕が介助スタッフになった理由は、ラグビー部の先生、代表の廉田さんとの出会いと、
なにより、小学校の時に野球が上手くてレギュラーなってたら、ここにはいなくて
プロ野球選手なってたからです!

 
 
NEXT Batter
 スタッフ・らちちゃんの理由・・・
 スタッフ・ちゅうくんの理由・・・
 介助スタッフ・あおいちゃんの理由・・・
 スタッフ・まっちゃんの理由・・・
 介助スタッフ・なかおくんの理由・・・
 介助スタッフ・なかばやしくんの理由・・・
 介助スタッフ・はらちゃんの理由・・・